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中間管理職は頭よすぎでもダメ!?明智光秀から学ぶ上司との関係

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戦国時代の武将・明智光秀が、当時、急速にその勢力を拡大していた織田信長に仕えたのは、1569年頃。史実が正しければ、当時、光秀は41歳。一方、主君である信長はイケイケの35歳。実は光秀の方が、少し年上だったのだ。光秀は新興勢力のトップとして軍団を率いる信長の才能を評価し、信長もまた、落ち着いた年頃で知識も経験も豊富な光秀を高く買った上での、「中途採用」であったのだ。

その後、常勝・織田軍団の中にあって、中間管理職的なポジションで、多くの重要な役割を担っていた光秀は、「中途採用組」であるにもかかわらず、その優れた実務能力と人柄で、織田家の人々から絶大な信頼を得るまでになった。しかし、織田家がさらなる躍進を遂げると、今度は「常識人」としての光秀と、「改革派」の信長との間に、徐々に軋轢が生まれることとなる。二人の溝は年月を重ねるほどに大きくなり、やがては信長が、他の家来の前で光秀を罵倒する場面も 珍しいものではなくなっていった。それこそ、現在で言うところのパワハラのオンパレード。そんな矢先に起きたのが、あの有名な本能寺の変である。

警備の薄い本能寺で、クーデターの発生を知った信長は、それが光秀によるものだと聞くと、すべてを悟ったように死を決した様子だったという。綿密な準備を怠らずに慎重に慎重を重ねて事に及ぶ光秀の方法論と手腕を、誰よりもよく知り、誰よりも高く買っていた信長だからこそ、自らの窮地が揺るぎないものであるということを悟ったのだろう。完璧過ぎるほどの手筈を整えてクーデターに成功したものの、光秀は、同僚であり、生え抜き組の羽柴秀吉によって成敗され、その生涯に幕を閉じた。

やはり、仕事で成功するためには、才能だけではなく、その才能を的確に評価し、重用してくれる上司との良好な関係が、誰にとっても必要不可欠のようである。

文・興津庄蔵Permalink | Email this | Comments

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