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赤西仁がジャニーズ独立してもオリコン2位獲得 2つの考察

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 赤西仁のジャニーズ事務所独立後初のシングル『Good Time』が、2014年8月18日付の週間オリコンランキングで2位を獲得。上々の滑り出しを見せた。2月末にジャニーズ事務所との契約が切れ、そのまま退社していた赤西は、大きな後ろ盾を失ったが、まずはそれなりの結果を残したといえる。

 そもそも、なぜ赤西はジャニーズ事務所から独立したのだろうか。芸能関係者が語る。

「表向きには、活動方針をめぐる事務所との食い違いと発表されましたが、いろんな要因があると思います。度重なる赤西の身勝手な行動に、事務所側が堪忍袋の緒が切れたという部分もあるでしょう。赤西からしてみれば、アイドル路線には進みたくなかった。本人がどういうイメージで売り出そうとしても、世間は“ジャニーズ事務所所属タレント=アイドル”という見方をしてしまいますからね」

 とはいえ、ジャニーズ事務所から独立すると、芸能界で生き残っていくのは一筋縄ではいかない。それは、田原俊彦や諸星和己の例を見ればよくわかる。彼らは、ジャニーズ事務所の歴史を振り返るとき、欠かせない大スターだった。

 1980年代のトップアイドルで、ジャニーズの今日に至るまでの道を作った田原俊彦。芸能界史上“瞬間最大風速”の人気を誇ったといわれる光GENJIの顔だった諸星和己。2人は1994年、1995年にそれぞれジャニーズ事務所を退社したが、その直後から苦境に陥った。ジャニーズ所属タレントとの共演はもちろん、テレビ出演も大幅に減ったのである。前出・芸能関係者が続ける。

「1996年にSMAPの森且行が脱退して以降は、不祥事のケースを除いて約20年もジャニーズを退社するタレントはいませんでした。これはひとえに、ジャニーズ所属タレントが、田原と諸星の“天国と地獄”を間近で見ていたからではないでしょうか。

 たとえば、SMAP木村拓哉の独立話は何度も噂されましたが、今に至るまで実現していない。その背景には、木村が2人の人気の凄さを目の当たりにしていたことも大きかったというのもあるかもしれません。そんな大スターの2人でも、独立したら、見事なまでに干されてしまった。これが歯止めとなり、約20年にわたり、ジャニーズを飛び出す人間はいなくなったのでしょう。

 しかし、1984年生まれの赤西は、田原と諸星の大スターぶりを知らない。事実として知ってはいても、実感がない。そのため、向こう見ずな冒険を選択できたわけです。赤西が、あと数年早く生まれていれば、独立はなかったかもしれません」

 また、時代の流れも、赤西の独立を促したのではないか、という。

「20年前はメディアといえば、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌しかなかった。しかし、今はネットがあり、ツイッターやブログでみずから情報を発信できる。芸能人にとって、この違いは大きい。ある程度の知名度を得てしまえば、自身のメディアで上手くやっていくことも可能になったのです。

 今回、赤西がインディーズレーベルながらオリコン2位になったのも、昔では考えられないことです。田原は独立後初のシングルではオリコン59位と、それまでと較べて大きくランクダウンした。諸星は独立してからシングルを発売するまでに8年もかかりましたからね。

 今は芸能人みずからが自由に発信できる。そのため、以前ほどは旧所属事務所側の思い通りにいかない面も出てきた側面もあるでしょう」


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