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42年前の小説・有吉佐和子『恍惚の人』が予見した今の福祉問題

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 作家・有吉佐和子が53歳で急逝したのは、昭和59年8月30日のことだった。没後30年となる節目の今年、新装版や復刊が相次ぐが、時代小説にせよ、ルポにせよ、有吉が描いたテーマや言葉は、あたかも現代日本を予見していたかのようだ。社会と人間の本質を見つめ続けた有吉文学を、今こそ読み直したい。文芸評論家の富岡幸一郎氏が語る。

 * * *

 昭和四十七年に発表した『恍惚の人』は、精神を病んだ老人をテーマにした小説で空前のベストセラーとなった。老人福祉政策に未だ人々の目が十分にいかずに、戦後の経済的繁栄に浮かれ(翌年にオイル・ショックがあり、街中のトイレットペーパーが買い占められるという珍事もあった)ていた日本人に、人が生き老いることの切実な現実を突きつけた。

“恍惚”の八十四歳の老人の奇行、幻覚、徘徊の日々に翻弄される家族。一流商社に勤める夫と法律事務所でタイピストの仕事をする妻にとって、父親の突然の変貌はまさに青天の霹靂であった。

 妻の昭子は、夜中に突如起きあがっては、ひィひィひィと悲鳴をあげたり、一人で家を出て行き街道を猛スピードで歩き続けたりする舅の行動に、自らも神経を病み焦燥と苛立ちにかられるが、仕事を理由に自分の父親の現実から目をそらして逃げようとする夫を見て、最後まで「お爺ちゃん」の世話をしようと決意を固める。しかし、彼女は舅の徘徊がたんなるボケではなく「老人性の精神病」であることを専門医から知らされ、愕然とする。そうした老人を収容する施設は一般の精神病院しかないといわれたからである。

《……老人福祉指導主事は、すぐ来てくれたけれど何一つ希望的な、あるいは建設的な指示は与えてくれなかった。はっきり分かったのは、今の日本が老人福祉では非常に遅れていて、人口の老齢化に見合う対策は、まだ何もとられていないということだけだった》

 四十二年前のこの小説の衝撃は、特別養護老人ホームなどの福祉施設の増加はあっても、人口の高齢化がいっそう進む現在において、過去のものとなるばかりか、ますます切実な現実として響いてくる。またこの小説は経済成長のなかでわが国の社会と家族の在り方がおおきく変化し、とくに家庭における主婦が、いわゆる「家事」から「社会」参加へと移り変わっていく時期を反映していた。

 その意味で主人公は昭子であり、この作家がデビュー作以来のテーマとしてきた、艱難や差別を乗り越えて社会の地平に力強く立つ「女の生き方」が正面から描かれている。さらに、長い人生を営々と歩んできて、その果てに「醜い姿をさらしながら饐え腐っていくような」老いをむかえねばならないとすれば、「人は何のために生きるのか」という人生への普遍的な問いがある。それは「人間は誰のために生きるのか」という最も現実的な問いに重なる。

 

 昭子が自分の生活を犠牲にしてでも、一所懸命に義父の世話をするのは、この問題をしっかりと見据えようとしているからである。この一点において、『恍惚の人』は時代に消費されるベストセラーではなく、時代を越えて読み継がれている文学作品なのである。

※SAPIO2014年9月号


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