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【著者に訊け】内田樹 人気シリーズ新作『街場の共同体論』

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【著者に訊け】内田樹氏/『街場の共同体論』/潮出版社/1200円+税

 中国論にマンガ論、読書論に憂国論とくれば、共通する枕詞はそう、街場だ。難解な理屈は避け、それでいて人間的叡智の核心に迫る内田樹氏の人気シリーズも、『街場の共同体論』で10作目。家族論、教育論等を広く扱うが、〈言いたいことは簡単と言えば簡単で、「おとなになりましょう」、「常識的に考えましょう」、(中略)「若い人の成長を支援しましょう」といった「当たり前のこと」に帰着します〉

 その当たり前が通じなくなりつつある中、本書では正しい絶望と希望の紡ぎ方を説き、〈僕からの政策的提案は「自分にできること」に限定されています〉と、内田氏は書く。〈足元の瓦礫を片づけるところから、黙って仕事を始めている人がいるはずです〉と。

「街場というのは、最初の『街場の現代思想』(2004年)を連載していた関西の情報誌の江弘毅編集長が命名者。非人称で肉体性を持たない学者目線ではなく、生身の生活者目線の“論”です。一応僕は今年64歳というそれなりに長い個人的経験年数があります。例えば日の丸を正月に飾る家がいつ頃消え、いつから換金性の高い才能だけを才能と呼び始めたかが経験的にわかる。

 その個人的な論は、意外にもしばしばメディアで語られる一般論より射程が広い。その射程で見るとわかることは、〈問題〉とされていることの多くは昨日今日出てきた新しい〈問題〉ではなく、数十年かけて僕たちが出した〈答え〉だということ。

 現在の家族や共同体の〈問題〉なるものは、父権制共同体を数十年かけて僕たちの社会が解体したことの帰結です。率先して担ったのは僕ら団塊世代ですが、父権制共同体の解体は社会の総意。自分たちの手で壊しておいて、今ごろ『なんでこんなことになった』と嘆いても始まらない」

 家族や地域の崩壊、はたまた絆ブームなど、昨今は極端な言説ばかり耳につく。が、共同体について考える時、私たちは個人や世代を超えて〈パス〉を回し回される意味をつい忘れがちだ。人が限られた生の中でできることをやり、残りを次に託して初めて公は生まれる。個と公は対立概念ではなく、本質的に共存しうるというのが、本書のいう〈セミ・パブリックな共同体〉だ。

「僕が言いたいのは、人は一人では生きられないという当たり前のこと。ところが例外的に平和で豊かな時代が長く続いたので、自分さえよければいいという個人の〈原子化〉が進んでしまった。それは資本主義の要請でもあり、家事でも育児でも介護でも、あるいは高額の耐久財でも共同体内部でお互いに融通し合っていれば消費活動は沈滞する。

 家族が個人ばらばらに解体して、生活に必要なサービスも品物も総て自分の金で市場から調達する社会のほうが経済は活性化します。だから官民挙げて“誰にも迷惑をかけないかわりに、誰の面倒もみない”という利己的な生き方を推奨した」

 資本主義との好相性の下、家父長制や師弟関係などの〈非対称〉な関係を憎んで〈フェアな競争〉に基づく対等な社会を求めた結果、第一講「父親の没落と母親の呪縛」や格差社会といった答えを生んだ経緯。また、〈家族の誰からも愛されない父親〉〈子供が年収で大人を値踏みする社会〉等々、耳の痛い現状に触れた上で、内田氏が紹介するのが第七講「弟子という生き方」だ。

 詳しくは本書に譲るが、非対等な斜め上を仰ぎ見る〈仰角〉の姿勢の安心感と豊かさは理屈抜きに羨ましい。そこでは失敗の〈負けしろ〉が許され、他を蹴落としてでも自分だけは浮上するフェアな生き残りシステムより、ずっと素敵だ。

「僕が道場を持って痛感するのは、師弟関係がいかに高機能な装置かということ。師匠の実力なんか実はどうでもいいんです。“弟子という構え”をとることで人間は自学自習のプロセスに自分から進んで踏み込む。

 個人の能力を高めて他人よりも相対的に高い格付けを得て資源分配で有利な立場になるよりも、集団全体のパフォーマンスを上げる方が共同体は機能も復元力も高くなる。集団には幼児も老人も病人も含まれます。生産性の高い人も低い人もいる。いて当たり前なんです。能力にかかわらず全員が共同体のフルメンバーとして自尊感情を持ち、愉快に暮らせるように共同体は制度設計されるべきです」

 例えば駅に誰かが捨てた空き缶が落ちていたとして、貴方は駅員に拾わせるだろうか、自分で拾うだろうか。または困っている人を見かけた時、行政や係員に丸投げしない〈おとな〉が7%いれば日本は大丈夫と、氏はあえて楽観的に言う。

「15人に1人か2人の比率で大人がいれば社会は十分保てます。今はそれが量的に少なすぎるだけです。関川夏央さんが戦後を評して〈共和的な貧しさ〉と呼びましたが、今、若い世代は皆で支え合わないと生きていけないほど貧しくなっている。だから、若い人の中からきっとちゃんとした大人が出てくるでしょう。皮肉な話ですけど……」

 美徳を高機能と言い換え、自分さえよければはパフォーマンスが悪いと繰り返す氏は、冒頭の瓦礫の喩えをこう続ける。〈その人たちといつかどこかで出会って、「あ、こんにちは。ここまでは僕が片付けておきました」「おや、そうですか。この先は私がやっておきました」という会話を交わして、少しだけほっとする〉……。そんなパスを、自分も軽やかに繋げるおとなになりたいと思わせる、引力の書だ。

【著者プロフィール】

 内田樹(うちだ・たつる):1950年東京生まれ。東京大学文学部卒。東京都立大学大学院修士課程修了。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想。学業ではレヴィナス、合気道では多田宏氏を師と仰ぎ、自身神戸に開いた能舞台兼道場「凱風館」で全人教育にあたる。2007年『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、2010年『日本辺境論』で新書大賞、2011年伊丹十三賞。『ためらいの倫理学』『「おじさん」的思考』『下流志向』等著書多数。176cm、77kg、B型。

●構成/橋本紀子

※週刊ポスト2014年8月15・22日号


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