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格闘家・中井祐樹の格闘技に殉じた生き方は「希望」そのもの

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「本当に楽しい、特別な1日」
と中井祐樹は、1995年4月20日に開催された『Vale-Tudo Japan Open 95』(以下VTJ 95)を8月7日に刊行された著書『希望の格闘技』で述懐している。

「あの時、自分が闘っていた相手は『世の中』だったような気がしています」

一時期のいわゆる「格闘技ブーム」を経て、いまや「総合格闘技」は当たり前に存在するものとなった。
しかし、当時はまだまったく理解されていなかった。93年にアメリカで『UFC』が行われ、当時無名のホイス・グレイシーが優勝。そのインタビューで「兄のヒクソンは10倍強い」と言い放ち、一躍「グレイシー柔術」の名が轟いた。翌年、シューティング(現:修斗)は『VTJ 94』で、そのヒクソン・グレイシーを招聘。ヒクソンは噂に違わぬ実力を見せて優勝した。

そして95年。再びヒクソンが参加したのが『VTJ 95』だった。そこに当時、シューティングウェルター級王者だった中井祐樹も参戦した。
しかし、一回戦の相手はよりにもよって『UFC』準優勝の経験を持つジェラルド・ゴルドー。
198センチ100キロ。170センチ71キロの中井とは、身長で28センチ、体重で29キロの差があった。体格だけではない。ゴルドーは極真空手の世界大会にも出場経験のある空手家。しかも、反則もいとわない凶暴性も備えていた。

果たして、試合は文字通り「死闘」となった。
寝かせれば勝機のある中井は組み付きに行くが、ゴルドーはロープを掴んでもいいという今では考えられないルールを利用し、ロープにしがみつき、しかもそこで眼の奥をえぐるサミング(目潰し)を仕掛けたのだ。サミングはもちろん反則。観客からは激しい罵声が飛んだ。ゴルドーに、ではない。組み付く中井に、だ。「いつまでも抱きあってんなよ、オカマか!」と。そして「殺せ!」「ゴルドー、何やってもいいんだぞ!」とゴルドーの乱暴なファイトの背中を押した。

ラウンドが進むごとに繰り返されるサミングで中井の目は大きく腫れていった。しかし、中井は何度目かのチャレンジで遂にゴルドーを捉え、ヒールホールドで勝利を収めたのだ。観客の目が一気に変わった瞬間だった。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。中井は右目を失明。総合格闘家としての選手生命を絶たれてしまうのだ。

不屈の男・中井はそれでも「私はあの闘いをまったく後悔していない」と言い、ブラジリアン柔術家に転身し、今も格闘技の普及に邁進している。

中井は「格闘技は人生と一緒」だと言い切っている。
「格闘技をやることによって世の中の事象をいろいろな角度から見られるようになった。自分の立ち位置や置かれている状況で、モノの見方は変わってくる。このことが、自分には面白くてたまらないのだ」(『希望の格闘技』より)
だからこそ、そこに「希望」がある。中井祐樹の格闘技に殉じた生き方は「希望」そのものなのだ。

文=てれびのスキマ(http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/)

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