もの派の重鎮・李禹煥個展──村上隆が語る、マンガと並ぶアジアが生んだ芸術

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もの派の重鎮・李禹煥個展──村上隆が語る、マンガと並ぶアジアが生んだ芸術

左が村上隆さん、右が李禹煥さん photo by 戸室健介
現在ヴェルサイユ宮殿での特別展も開かれている美術家・李 禹煥(リ・ウーファン)さんの個展が、7月25日(金)から日本で開催されます。

場所はKaikai Kiki Gallery。オーナーである現代美術家・村上隆さんのオファーから6年越しに実現した悲願の展覧会ということで、注目が集まっています。

8tにも及ぶ砂利を麻布の一等地にあるギャラリーに運び込んで制作される作品とは、そして具体美術と並び、アジアが生んだアートムーブメントの中でも重要な“もの派”とは、一体どのようなものなのでしょうか?

「もの派」の理論を支え、世界に知らしめた李禹煥とは?

李禹煥さんは、1960年代後半から制作・理論の両面における「もの派」の中心的存在として世界的に高い評価を得てきました。日本でも、2010年から香川県直島に李禹煥美術館が開館しています。

「もの派」とは、日本の戦後美術史に大きな影響を与えた現代美術の潮流のこと。「もの派」とよばれている作家の多くが、50年以上経った今も第一線で活躍している事実が、その影響力の高さを如実に示しています。

「もの派」は、石や木、紙、鉄板などといった“物”を、できるだけそのままの状態で扱い、物と人と空間の関係性を重視してきました。

“つくることを制限し、つくらぬ外部を受け入れる”こと、つまり「つくること(文明)」「つくらぬこと(自然、外部)」を組み合わせて新たな表現の次元を切り開く運動だったわけです。

今回の個展では、「常に周囲の環境との関係を探求してきた」という李さんの提唱する「もの派」に相応しく、ギャラリー内を考古学的な空間に変容させる、空間と作品の関係性を重視したインスタレーション作品2点の展示が予定されています。

個展に向けて、Kaikai Kiki Galleryで李禹煥さん、村上隆さん同席のもと、展示プランの綿密な打ち合わせが行われました2

大がかりな展示準備が始動

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今回のインスタレーションの一つで使われる砂利は色、大きさ、質感などの異なるサンプルがいくつか用意されていて、ギャラリーを訪れた李さんはこの日、空間と向き合い、資料を眺め、時折スタッフとスケジュールやインスタレーションのイメージなどを話し合っていました。

今回展示を予定されている作品は3点。

まず、何台ものトラックを使い8t分の砂利をギャラリーに敷き詰め、2ヶ所だけ空けたスペースでは李さんが床に直接ペインティングするという作品。

そして、大きな石にライトをあて白いキャンパスに影を写した作品。もう一点は、絵の展示ということで、念入りに作品の展示方法や設置個所、会場の動線を確認していました。

李さんの自宅にあるという大きな石は、小型クレーンなどを使わなければ持ち上げられないようで、なんと砂利や石を運ぶためだけに専門業者を雇わねば移動不可能とのこと! さらに、床に直接描くため、展示終了後にはギャラリーの全面改修も必要になるそうです。

そこまでの手間暇をかけてでも実現させた今回の個展、オファーした村上隆さんの並々ならぬ意気込みが伝わってきます。

ともに疎外感を味わってきた2人の作家

村上さんは李さんについて、「戦後の日本のコンセプチュアルアートの世界の中では、韓国人ということで差別的な扱いを受けていた李さんが、一番硬派で理路整然と「もの派」という理論を説いていたことに刺激を受けて、僕もスーパーフラットという理論をきちんと言わないといけないと思った」と語っていました。

「バブル経済の真っ直中で、アートにおいても“刹那的”なカッコよさに追従する風潮が蔓延する中で、僕があえて逆張りしたのも、半芸術的志向に反発して物に回帰した「もの派」の影響です」

これだけ世界的に評価されているにも関わらず、日本の美術界の中でなかなか展示の機会などに恵まれず、とうとう自分でギャラリーまで設立した村上さんと、李さんの間には、互いに苦境を乗り越えてきたからこそ分かり合えるものがあるのかもしれません。

李さんの「大きい仕事はこれでお終い」という趣旨の発言に対し、村上さんから笑いまじりで「いつも最後最後と言っているけど、ヴェルサイユでも好き勝手やっていたし、終える気なんてないでしょう?」とつっこみが入る一幕も。

「もの派」とマンガの意外な共通点?

村上さんは李さんの作品を、空間と作品が溶け合うこと、周囲と作品の関係性が大事だと評していました。

では、村上さんにとっての「もの派」とは、どういうものなのでしょう?

「歴史を振り返ると「マンガ」が市民権を得た時と「もの派」は同じ時期なんです。当時、貧困などで物もなく、日本には芸術の成立は不可能であると言われていました。マンガも子ども向けの娯楽として、なかなかその価値を認められなかった時代です。

「もの派」の本質は、「自分達の手に入る物、そこにある物そのままに」というところにあり、貧しい中でも芸術はできるのではないか、という発想ですよね。それは、茶道の「侘び」にも通じる概念なんです。

そして、世界の同時多発的な芸術の動向として、イタリアのアルテ・ポーヴェラ(直訳で「貧しい芸術」という意味)というムーブメントも起こっています。イタリアも日本も、第二次世界大戦で戦争に負け、その苦境の中での芸術の自由を思考した結果、似た動きがあったことも興味深いですよね」

また、李さんは「僕は出来上がった作品を持っていって展示して完成じゃなくて、現場で空間を含めて作品を制作する作家ですから」と話していました。空間全体をキャンバスに見立てている李さんの作品からは、「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る」という茶道的な見立ての美学も感じさせられます。

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「茶道やもの派は、足りなさから生まれた芸術です。実は、そこもマンガとリンクしている。手塚治虫さんは、当時ディズニーなどの莫大な予算のある映画に対して、貧乏でも個人でも、紙とペンさえあれば映画に負けない世界を再現できるのではないか、というカウンター的精神から漫画の執筆に打ち込んでいた

既存の表現へのカウンターであったという点でも、1970年代初頭のムーブメントとして「マンガ」と「もの派」は密接にリンクしているんですよ。そういった歴史を理解していくと、手塚治虫さんと李さんはある意味同じ地平を歩いてるということがわかります。つまり、当時の体制の中でつくることを茶化すか笑い飛ばすか、これはどちらも独特な時代的批判の姿勢だったと言えます」

さらに、村上さんはタモリや赤塚不二夫を例に李さんの作品の説明をしてくれました。

「赤塚不二夫やタモリは、日本のチープなものをエンターテインメントに着陸させた人なんですよ。李さんは、今は「もの派」の中心人物ですが、若い頃はトリッキーアートを得意としていました。真面目で渋い作品のイメージがありますが、実はそうじゃない。李さんは言わば、現代美術版の赤塚不二夫やタモリ、アラーキー(荒木経惟)の立ち位置でもあるんです」

芸術界のターニングポイント

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世界的にも大きな注目を浴びている今回の個展は、当初、「李さんの自分史における先祖帰り」のような内容になるはずだったという。

「ちょうど、李さんが活躍し始めたのは、手塚治虫が暗い漫画を描き始めた頃でした。『奇子』とか『ブラック・ジャック』前夜と言えばわかりやすいかもしれない。あとは石井たかしがいて、エログロナンセンスな作品が盛んだった頃ですね。

「もの派」が全盛だった1970年代頃は、世の中には暗い雰囲気が漂っていて、経済的にも落ち込んでいた。だから、バブルが到来した時に割りを食ってしまった。だけど、李さんは「もの派」の急先鋒ということで、展覧会の機会はあって、その度に大きなインスタレーション作品を制作していたけれど、美術館も購入まではしてくれず、残った作品は全部捨てていたそうなんです」

6年前、村上さんが「捨ててしまった作品を再制作してください」とオファーしたところから今回の個展は始まっている。

でも、李さんは『最新作をやりたい』と言ってくださった。どっちがよかったのかなと思いつつ、色々話を聞いて新作の展開で良かったと思っています」

村上さんは李さんが展示の準備をしている間中、しきりに「好きにやってください」と口にされていました。

「僕自身、作家を信じてくれるギャラリーや美術館としか仕事をやりたくないんですよ。僕は李さんを尊敬しているし、うちのギャラリーで個展を開いてくださることになったのは大変な幸せだから、後は気持ちよく思うままにやっていただきたいです」

デュシャン以降の現代アートの衰退を肌で感じながらも芸術界の第一線で活躍してきた2人のタッグだからこそ、今回の個展は特別な意味を帯びてくるのかもしれません。

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