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高須院長 「紅白を見てたらぼくの作品がいっぱい出ていた」

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 いじめられっ子だったことや、借金100億円を抱えたこと、脱税で告発されたことなど、波瀾万丈な人生を赤裸々に語った著書『筋と義理を通せば人生はうまくいく』(宝島社)を出版した、高須クリニックの高須克弥院長(69才)。今では日本の美容外科医の先駆者的存在として知られる高須院長が、美容外科の世界に足を踏み入れたころを振り返る。

 * * *
 生まれたときから、家庭の方針で医師になる以外の道はなかったので、高校は名古屋の名門私立・東海高校に進みました。ここでは柔道部の強豪たちと仲よくして、虎の威を借りながら、いじめからはうまく逃れていましたね。

 大学はすんなり医学部に入ったけど、麻雀ばかりやっている落ちこぼれ。そこでぼくは、専門として整形外科を選んだ。当然、そこにはすぐれた先生がたがすでにたくさんいた。ぼくが整形外科医である限り、つねに誰かの後を歩き続けるしかない。それは嫌だと考えて、美容外科に転身したんです。ところが、当時は未開拓な分野ですから、美容整形の先駆者となったことで、さまざまないじめに遭いました。医療行為として認めてもらえず「美容外科をやるなんて人間のクズ」とまで言われたこともありました。

 美容外科に進んだもうひとつの理由があります。それは、整形外科医として手術していたときから、交通事故などで大きなダメージを負った患者さんたちを、傷あとをほとんど残さず再生することがぼくにはできたからです。

 事故でくしゃくしゃになった顔でも元通りにしてあげることができた。術後、患者さんも保険会社の人も、「あ、きれいですね。顔は傷つかなかったんですね」と言うから、「いや、600針縫ってきれいにしたんですよ」と説明すると、保険会社の人などは「えっ? でも、こんなにきれいじゃ、後遺症認定ができませんね」と言う。醜いほうがいいのかと。

 だけど、それが評判になって、次第にしわを取りたい、鼻を高くしたい、二重まぶたにしたいという人たちが増えてきた。そこで、名古屋市内に美容整形の専門病院を設立することにしたんです。

 それがまた評判になって、テレビから声がかかった。当時の人気番組『11PM』や『2時のワイドショー』(ともに読売テレビ系)に出演するようになると、全国から患者さんが訪れるようになりました。そして、1981年に東京・赤坂にクリニックを開設しました。

 そのころ、大晦日の紅白歌合戦を見ていたら、ぼくの“作品”がいっぱい出ていましたよ。今はある有名人のパーティーなんかに行くと、やってくるゲストのほとんどがぼくの作品だったりしますよ(笑い)。

※女性セブン2014年7月24日号

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