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田原俊彦 俳優より歌手にこだわる背景にジャニーズの遺伝子

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 6月24日、田原俊彦(53)のデビュー35周年の皮切りとなるスペシャルライブが東京・お台場のZepp Tokyoで開催された。この日は新曲『LOVE&DREAM feat.SKY-HI/Bonita』に加え、『抱きしめてTONIGHT』『悲しみ2ヤング』『顔に書いた恋愛小説』など1980年代のヒット曲も披露。会場を大いに沸かせた。

 スカパー!の招待イベントだったこともあり、田原が「今日初めて来た人!」と聞くと、約3割弱が手を挙げるなど初見の観客も多かったようだ。この日の曲構成は、田原みずからが作成。バラードの『ヒマワリ』『願いを星の夜へ…』以外は、ほぼ全編にわたり、踊る曲ばかり。それにもかかわらず、最後までステージ上を駆け回り、53歳とは思えないパワフルさを見せた。芸能記者が話す。

「Zepp Tokyoは他の会場と比べると、ステージの床がかなり固く、体力的には負担がかかります。そのなかで、あのパフォーマンスを魅せたのはかなり凄いことですね。田原は、2011年に『爆報!THEフライデー』(TBS系)のスペシャルMCに抜擢され、人気が復活。以降、コンサート会場のキャパシティも広くなりました。

 実はZepp Tokyo は、メディア露出の少なかった2000年から2009年までの10年間、夏のツアーのライブ会場として歌っていた場所です。35周年のスタートに、キャパが1200人程度のZepp Tokyoをあえて選んだのは、その時代の苦しさを忘れない心意気も含まれているのでしょう」

 イベント開始前の取材では、「ジャニーズを卒業してから20年。毎年、シングルを出して、コンサートやディナーショーを欠かさずやってきた。35年目の夏を無事迎えられました。コツコツやってきてよかった。歌って踊ることが僕にとっての一番の生きがいだし、ファンも楽しみにしてくれている」と話した。

 たしかに、田原俊彦は1980年6月のデビュー曲『哀愁でいと』から1990年3月発売の『ジャングルJUNGLE』まで37作連続オリコンベスト10入りの記録を樹立するなど、歌手として第一線で突っ走ってきた。本人が話すように、1994年のジャニーズ事務所独立以降も、新曲発売やコンサートを続け、“歌って踊る”ことにこだわりを見せてきた。

 一方で、田原には俳優としての顔もある。1988年の連続ドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ系)は大ヒット。翌年の『教師びんびん物語II』はフジテレビ月9枠で初めての視聴率30%越えを記録した。そのほかにも、『金太十番勝負!』(フジテレビ系)、『俺たちの時代』(TBS系)、『日本一のカッ飛び男』(フジテレビ系)、『逃亡者』(フジテレビ系)など、数々のドラマに主演している。

 だが、ジャニーズ事務所からの独立以降、“びんびんシリーズ”の2時間スペシャルに主演したことはあったが、連続ドラマへの主演はない。なぜ、本人は俳優よりも、歌手にこだわり続けるのだろうか。前出・芸能記者が語る。

「もともと、ジャニーズ事務所のタレントは『ステージで歌って踊ること』がメイン。ジャニー喜多川氏はアメリカのエンターテインメントに憧れ、魅せるタレントの育成を目的としてきた。特に、田原の育った1980年代に顕著な傾向です。田原は“ジャニーさんの最高傑作”を自負しており、自身が俳優という意識はない。だから、ドラマ出演は厳選しているのでしょう。本人も雑誌のインタビューなどでオファーがあることは認めていますが、出演に至っていません。

 こう言うと、プライドが高いように思われがちですが、毎年、新曲リリース時には地方へ握手会などに出向いています。大物なのに、今もそうした地道な活動を欠かさない。やはり、歌手への意識が強いんです」

 本人は、ステージに相当なこだわりを見せている。しかし、田原の俳優としての成功が、SMAPや嵐などジャニーズ所属タレントの主演ドラマの道筋を開いたわけで、俳優としての評価が高いのもまた事実。ステージに加えて、役者としての活動を見たいというファンも多いのではないだろうか。


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