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第1回W杯、日本は出場辞退だった

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1997年11月16日、「ジョホールバルの歓喜」で日本のサッカーの歴史は大きく変わった。ついにワールドカップ(W杯)の出場を手にし、以降、今回のブラジル大会まで5大会連続の出場。これまで日本の前に立ちはだかってきた壁を突き破った17年前の勝利は、今でも多くのサッカーファンの脳裏に焼き付いていることだろう。

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日本のW杯への思いは、その初出場まで高い壁に阻まれてきたように思われがちだが、それは正しいようで、若干ニュアンスが異なる。W杯の初出場は簡単に手に入るところにありながら、みすみす手放してきた過去もあるのだ。

たとえば第1回の1930年ウルグアイ大会。これは南米開催ということで、欧州勢の多くが出場を断念。当時の移動は船であり、その長旅を嫌がったことが原因だという。そこで国際サッカー連盟(FIFA)は加盟国すべてに招待状を送ったものの、日本は不参加を表明したのだ。当時の日本は1927年に起きた昭和金融恐慌による経済不況の真っただ中。協会自体も財政難で渡航費を捻出できないため、辞退せざるを得なかったという。渡航費さえあれば、日本のW杯初出場は意外にも第1回から成し遂げられていたかもしれない。

また、第3回の1938年フランス大会で日本は、初めてW杯にエントリー。オランダ領東インドとの直接対決に勝てば本大会出場が決まることとなっていた。が、日中戦争が激化しW杯どころではなくなってしまったため辞退したようだ。現在では、数多くの予選試合を経ないとW杯出場は勝ち取れないが、当時はたった1つの国に勝ちさえすれば出場できたという。戦争に阻まれたあたり、これもまた歴史のいたずらだろう。

また、1958年の第6回スウェーデン大会も視野に入ってはいたが、W杯に出場した選手はオリンピックに出られないこと、同年には東京でアジア大会が開催されることなどの理由により、日本は参加の申し込みをしなかったという。1950~60年代当時、日本はアマチュアリズム全盛の時代で、W杯よりオリンピック優先。特に1964年の東京オリンピックまでは、サッカーも他のスポーツと同様、オリンピックに照準を合わせて強化が行われたのだ。

そもそも当時の日本はW杯の価値をそれほど理解しておらず、アジア予選におけるバックアップ体制も万全ではなかった。むしろ、オリンピックに向けての強化試合ぐらいの認識が強かったという。その結果、東京オリンピックでは予選リーグを突破して決勝トーナメント出場を果たし、1968年メキシコオリンピックでは銅メダルを獲得した。

それだけの力があっただけに、当時W杯に注力できていれば、日本のサッカー史も変わっていたのではないかと悔やまれる。しかし、そうした過去も踏まえて日本サッカーの歴史といえるだろう。今大会の日本代表には、歴史を変えるような戦いぶりに期待したいところだ。
(R25編集部)

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※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです
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