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カンヌから見る、現在のフランス映画とは

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 24日夜(日本時間25日未明)、第67回カンヌ国際映画祭の受賞作品が発表されます。
 最高賞パルムドールの候補として注目を集めるのはジャン=リュック・ゴダールの4年ぶりの長編映画“Goodbye to Language”(原題:Adieu au Langage)。ゴダールは、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手と呼び声高い映画監督。彼の『勝手にしやがれ』(1959年)は、ヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品だと言われています。

 世界中のシネフィルが憧れたヌーヴェル・ヴァーグ。
 フランス映画というと、ファッション・美術雑誌に載るような甘ったるいお洒落なイメージを持っている方もいるかもしれません。マルセル・カルネやルネ・クレールの活躍した1930年代から、ヌーヴェル・ヴァーグを経て、80年代にはレオス・カラックスやリュック・ベッソンらに人気が集まるなど、フランス映画は、日本の観客を魅了し、良質揃いであると評価されてきました。
 しかし現在、日本の観客たちは「フランス映画は時代遅れ」と言い、映画館や配給会社は「フランス映画は儲からない」と口を揃えます。
 さて、考えてみてください。あなたは最近、劇場で一体いくつのフランス映画をご覧になりましたか?
 今回、“Mommy”でカンヌ映画祭コンペティション部門に選ばれた若手のフランス映画監督グザヴィエ・ドラン(カナダ出身)の『わたしはロランス』が日本で話題になるなど、一部ではまだまだ人気を保っているようにも見えますが、フランスのルモンド紙によれば、「日本で公開されたフランス映画41本の興行収入合計は、全体の1.9%にすぎない」(2008年)とのこと。日本でのフランス映画の不人気ぶりがよく分かります。
 では、かつて栄光を誇ったフランス映画は、いったい今どこにいるのでしょう?

 『フランス映画どこへ行く ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(林瑞枝/著、共栄書房/刊)は、フランス在住の映画ライターである林瑞枝さんによる、フランス映画の「健康診断書」です。
 フランス映画はなぜ「時代遅れ」になってしまったのか?
 本書から、その理由をご紹介します。

■「自称芸術家」に甘いフランス映画
 フランス映画が、退屈でイマイチだと言われるようになってしまった原因の1つに、「自己チューな作家映画」が多くなっていることが挙げられます。
 監督の個性が前面に押し出され、芸術的な野心に溢れたタイプの作品、観たことありませんか?主人公が理屈っぽくて、狭い人間関係の中で悩んでいて、まるで観客の自分が置いてきぼりになっているような…。
 例えば07年のカンヌ映画祭。この年のコンペ部門に出品されたカトリーヌ・ブレイヤ『最後の愛人』とクリストフ・オノレ『愛の歌』は、両者ともフランス人映画監督による生粋のフランス映画です。2つの映画は、コスチューム劇・ミュージカルという違いはあれど、登場人物たちの狭い人間関係を生々しく映し出し、内面の葛藤ばかりを描いているという特徴があります。
 一方、コンペ部門に選ばれたフランス映画でありながらも、アメリカ人監督ジュリアン・シュナーベルによる『潜水服は蝶の夢を見る』、イラン人監督マルジャン・サトラピによる『ペルセポリス』、ユダヤ系フランス人監督によるイスラエルが舞台の映画『テヒリーム』は、広い社会の中とつながる登場人物を描いていました。
 生粋のフランス映画は、まるで「映画が社会を語るなんて野暮」とでも言いたげに、ひたすら主人公の感情を大写しにしていきます。芸術家に甘いお国柄のフランスでは、作家の個性を尊重しすぎるために、作家の投影である主人公がアイデンティティを模索する、つまり「自分語り」の映画が量産されてしまうのです。

■ヌーヴェル・ヴァーグの不幸な子どもたち
 これは、かつてのヌーヴェル・ヴァーグの鬼才、ゴダールやトリュフォーらの製作技法の歪んだ継承によって起こった悲劇だと考えられています。
 ヌーヴェル・ヴァーグとは、「新しい波」という意味のフランス語。商業主義に束縛されない、即興演出やロケ中心の撮影などにより映画制作に革命的な変化をもたらしました。ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、自らの作家としての強烈な個性を演出し、言葉(脚本)に頼るのではなく映像の持つ力を最大限に発揮しようという試みがされました。それまでは、映画監督というものは脚本家が用意したシナリオをただ映像化していく「職人」でしかなかったと彼らは主張したのです。
 それぞれの監督の演出表現に注目し、監督を「作家」とみなして分析する「作家主義」を貫く映画雑誌カイエ・デュ・シネマとヌーヴェル・ヴァーグの映画群は、幸せな蜜月を送ることになりました。
 しかし、トリュフォーやゴダールらの伝説的な振る舞いが、やがて後発作家にとっての輝かしいお手本となってしまうと、「シナリオを用意せず、身近なテーマを選び、自らの完成の赴くままに表現する映画こそが良いのだ」という誤った理解が広まっていくようになります。
 その結果、ヌーヴェル・ヴァーグ風の表現方法を、表面だけコピーしたがるフランス監督たちのせいで、「退屈なフランス映画」という評判が広まってしまったのです。

■フランス映画を救うのは
 フランス映画に対して批判的な部分のみ取り上げてきましたが、著者はフランス映画の好転の可能性についても丁寧に分析しています。
 08年のカンヌ映画祭では、ローラン・カンテ監督の『パリ20区、僕たちのクラス』が21年ぶりにフランス人監督によるフランス映画としてパルムドールを受賞。さまざまな肌の色の生徒たちが在籍する学校生活をドキュメンタリー風に描いたもので、教師と生徒による言葉の応酬をカメラが追っていくという、刺激的な作品でした。
 フランス映画は、ハリウッド風の大規模予算に転ぶのでも、ヌーヴェル・ヴァーグの劣化コピーを量産するのでもなく、「ユニヴァーサルな映画」を作ることで、新たな未来を開くことができるのではないでしょうか。
 ユニヴァーサルな映画とは、「ローカルな文化に根ざした物語が、結局は国境を越えて世界の観客の心を打つ」というもの。これからのフランス映画に、ユニヴァーサルな良作が出てくることが期待されます。

 今年のカンヌでは、一体どんな作品がパルムドールの栄光に輝くのでしょうか。
 『フランス映画どこへ行く ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』は、カンヌ映画祭について、フランス映画について知りたい方にぴったりの一冊です。
(新刊JP編集部)



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