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プロ野球選手のオドロキ第2の人生

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今季のプロ野球も一区切り。熱戦のすえ楽天の初優勝という日本シリーズは、大きな注目を集めた。が、そういった華々しいシーンの陰で、ひっそりとプロ野球の世界を去る選手もいる。彼らのうち、解説者やコーチなどで野球界に残れる人間は一握り。多くは野球とは関係のない仕事へと転じていく。

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そんなプロ野球選手の第2の人生だが、野球とは関係ないどころか、「元プロ野球選手がそんなことを!」という道を歩んでいる選手もいる。

たとえば元日本ハムの投手・神島 崇は、なんと神主の道を選んだ。一方、元中日の捕手・清水清人は漁師。毎夜2時に起床して海に出る日々だという。それぞれ元プロ野球選手としてはギャップのある転職である。ただ、この2人はともに家業を継いだ、という側面がある。

ゼロからのスタートという意味では元近鉄の投手・宇都 格。引退後、スラリとしたスタイルを生かしてモデル業を目指したが、競争の激しさの前に断念。あらためて目指したのは、ダーツの道。トーナメントでも優勝するなど、今や立派なプロダーツプレイヤーである。

また、プロ野球選手の第2の人生として定番なのが、飲食店の経営。実に多くの選手がチャレンジし、また成功を収めている分野でもある。ただ、飲食は飲食でも珍しいのが元広島の小林敦司。なんと人気パティシエとして活躍中で、代官山にもカフェをオープンさせている。

今回、そんな「意外な第2の人生」を送っている一人、山本幸正さんに話を聞いてみた。山本さんは、1992年、春のセンバツに出場した堀越高(西東京)のエース。松井秀喜(元ヤンキースほか)が四番を打つ星稜高(石川)と対戦し、ヒザ元にカーブを決めるも松井に本塁打される名勝負を演じた。その年のドラフトで阪神に5位指名され入団。しかし、度重なるケガの影響もあり、わずか3年でプロを去った。その山本は、39歳になった現在、なんとセレクトショップであるユナイテッドアローズの販売部副部長。そう、ファッション業界で成功しているのである。山本さん、いったいどうしてこの業界に? 

「もともとファッションに興味はあったんです。ブランドやヒストリーよりもスタイリングが好きなタイプでしたね」

そうやって休日に買い物を楽しんでいた山本さん。そこでユナイテッドアローズにも通うように。

「ステキなショップだな、と思って通っていました。そこで出会ったスタッフがとてもいい方で、この人のようになりたい、と感じたことも大きいですね」

さらに、仕事のジャンルだけではなく、内容にも動機があった。

「プロ野球選手はよい成績を挙げればもてはやされます。でも、私はされる側ではなく、する側、もてなす側に立ってみたいという気持ちがあったんですね」

こうして山本さんは引退後、関西の企業勤務を経て、1996年、アルバイトとしてユナイテッドアローズのショップスタッフからスタート。正社員になってからは複数の店舗で接客経験を積み店長へ。3年前からは販売部で活躍するまでに。

「自分の場合、比較的、早くにプロ野球界を離れたのがよかったのかもしません。ケガもあったので、『野球以外で、野球と同じくらい自分が活躍できるステージはなんだろう?』とすんなり切り替えることができました。結果的に、それがファッションだったんです」 

「ピンチの後にはチャンスあり」「確率を大事にする」「緩急=メリハリをつける」など、野球で学んだことも仕事に生きているという山本さん。「プロ野球選手にもオシャレを楽しんでもらいたい。野球界とファッション界をいろいろな形で結びつけられたらいいですね」と笑う。現役時代、鋭い視線でピッチングをしていた選手とは思えない、柔らかな物腰が印象的だ。力足りず、野球界を去る選手たち。しかし、人生はまだまだこれから。新たな一歩を踏み出したみなさんの成功を祈っています!
(長谷川一秀)
(R25編集部)

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※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです
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