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続・疑似科学叩きは成功しない

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今回はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

続・疑似科学叩きは成功しない

「インターネットからニセ科学を減らすたった一つの簡単な方法」 2013年06月07日 『アレ待チろまん』
http://fm7.hatenablog.com/entry/2013/06/07/140130

こんな記事がある。簡単ならとっくの昔に成功していると思うんだけどね。疑似科学批判をしている人がよく「疑似科学を見分けるのは簡単だ」という。簡単なのに長年それが不可能なら、やっぱその認識がどこか間違っていると疑うのが謙虚な姿勢だろう。疑似科学を見分けるのは簡単ではない。

また正しい科学情報の啓蒙が必要というのも、昔から言われていることだ。オウム事件(1995年)の頃も盛んに言われた。それ以前からオカルトブームに警鐘をならし、科学の啓蒙活動が重要という主張は少なくとも1980年代にすでにあった。

大槻義彦とかも1990年代は正しい科学を啓蒙するために盛んに本を書いてたんだよね。しかし疑似科学を叩こうとする気持ちが強すぎて、大槻義彦自身がしばしば無茶な論法を繰り出すので、しまいにはどっちもどっちという雰囲気になっていた。

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何処を見れば正しい知識が載っているかという事実をインターネットに書く人が増えることが大切なのではないかと私は考えます。

違うね。疑似科学やオカルトを信じる人は、人間関係を通じて信じるようになる人が多い。全員ではないにしろ常に一定数を占める。知り合いの誰かから紹介されたんだけど~と。

なにが正しい知識か?の判断が、本人の狭い人間関係の中で決まってしまう。権威があってもどこの誰が書いているかわからない本やサイトよりも、親しい人間のいうことの方を受け入れる。日常生活ならそれで大半のことはうまくいくからね。

いやもちろん啓蒙するのは反対しないが、効果があるとは思えない。だいたい陰謀論なんか、いくら権威ある公的機関が否定しても、なくならないよね。

ようするにあなたが疑似科学のサイトを読んでる時に、「ああ、信頼できないサイトだな~」と思って読むのと同じで、疑似科学やオカルトを信頼する人々は、まともなサイトを「ああ、信頼出来ないサイトだな~」と思いながら読むわけ。

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こうした情報がネットでは求められています。正しい科学情報にアクセスしやすくなればニセ科学も目につきにくくなるでしょう。

疑似科学やオカルトが好きな人というのは、基本的に「自分だけが知っている情報」が好きなわけで、目に付き難くすれば解決するとうのは、むしろ逆効果だとさえ思うけどね。

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怪しい科学ネタが沢山載っているメディアに載って元の論文が色眼鏡で見られたらたまったものではないでしょう。

まあそういう考えがむかしから根強くあるよね。ただ重要なのは権威あるメディアに自分の論文が載ることであって、権威のないメディアに載ることでそれが損なわれるというのは、いわば集団心理。みんながそう思ってるから結果的にそういう目で見られ、しばしば実際にそういう評価をされるとうだけで、理屈としては正当性がないよね。

プロ野球の選手が子どもと草野球をしたら、プロの経歴に傷が付くというよなナンセンス。しかし多くのプロ野球の選手がそう思えば、実際に草野球をした選手の評価は低くなる。困ったものだ。

むろん著者はメディアを選ぶ権利があるが、実際にはこの権利はあまり意味がない。一方メディアが著者を選ぶのは、メディアの特色を出すために必要。権威ある情報だけを載せるという方針のメディアなら、そういう著者だけを選別して載せるだろうしね。権威ある情報を載せるメディアは当然必要。「ああ、このメディアに載ってるのだから信頼出来るんだろうな」という判断基準になる。でも著者側がメディアを選ぶのは、別に止めないけどあまり意味ないと思うけどね。

自分はまともな科学記事を書いていると思っている人は載せるメディアは選んだほうがいいでしょう。

もちろん選ぶ権利はあるが、誰にもメリットがない気がする。著者にもメディアにも読者にも。なんとなく「俺のラーメンは芸術だから、本当に味のわかる選ばれた客にしか食わせねえ」というマンガのシーンを思い出してしまった。低俗なメディアの読者には読ませないって、そういうことだよね。まあ、別にそういう方針を否定はしないけど。

そうすればいずれ淘汰されていくのではないでしょうか。

う~ん、いったいどういう理屈でそうなるのだろうか?だってあなたの最初の話は正しい科学の情報が大衆の目に触れる機会を増やすべきだというものだよね。それが正しかは別として、速くもそれと矛盾しちゃってるじゃん。

正しい科学の記事を書く場を選ぶなら、大衆が正しい科学の記事を目にする機会は減る。大衆が求めているのは正しい科学の知識ではない。いや、正しい化学の知識を求めてるのかもしれないが、その判断基準が上記の通りなので、結果的には求めていない。

繰り返しになるが、あなたの考えは別に珍しくも新しくもない。1990年代やもっとむかしから言われてきたことだ。まともな科学者はむかしからオカルト系の雑誌には記事を書かない。でもそれでオカルト関係の本が減ったかというと、逆だよね。

それでうまくいかないのだから、何か考えなおすべき点があると考えるのが合理的な判断ではなかろうか。頭で考えて、うまくいきそうな方法が実際にはうまくいかないことは、世の中にたくさんある。全体的に考えが「若いな(甘いな)」というのが俺の感想。疑似科学を何とかしようと突如使命に目覚めた人間が、まず最初に考えそうなこと。

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疑似科学批判は成功しない。冒頭の大槻義彦の話でも述べたが、疑似科学を支持する人を説得するには、科学的な手法ではだめなのだ。疑似科学を支持する人を脱洗脳(笑)するには、疑似科学的手法でないと。

でもそれは科学の側がミイラ取りがミイラになるようなもの。すごいアクロバットが必要とされる。1回や2回なら上手く行っても、ずっと成功し続けるのは無理だろう。

結局科学の側が疑似科学と戦おうとすれば、科学の範囲から逸脱しなければならないという本質的な弱点から逃れられない。それが科学が永遠に疑似科学に勝てない根本的理由。

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あとは余談だが、

よく言われている
『blogに人を集めるテクニック!』
『読みたくなるタイトル!』
『検索に引っかかる方法』
というノウハウを意識するだけで読まれ方が本当に違います。

なんで唐突にSEOのノウハウみたいな話がでてくるのだろう。まあ、いいけど。

サイエンスコミュニケーターが書いた正しい科学記事よりも自分のネタ記事が上に出てくるのは面白いものですよ。
正しい科学知識の啓蒙とかトンデモ科学と議論して打ち負かすといった高尚なことはサイエンスコミュニケーターに任せましょう。

ようするにサイエンスコミュニケーター様が書いてくださる記事を、大衆はひたすらツイートしろということらしい。たしかに大衆が馬鹿なのはそのとおりだが、それを公言しちゃ大衆から支持は得られないと思うけどね。

その点疑似科学は大衆が喜ぶポイントを抑えている。「よく考えて、貴方自身で判断してください」と呼びかける。一方科学は「難しいことは下手に自分で判断せずに専門家に任せましょう」という。やっぱどっちが大衆の心を引き付けるかといえば、疑似科学だよねぇ。

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追記2013-06-08

『似科学は』『「よく考えて、貴方自身で判断してください」と呼びかける。一方科学は「難しいことは下手に自分で判断せずに専門家に任せましょう」という。』私の見聞きしている範囲では逆だがな。

2013年06月07日
http://twitter.com/hokutohei/status/343265989124833280

それはおかしいね。言葉の表面しか見てないんじゃないの?もちろん科学は「自分で考え、理解することが大事だ」というよ。建前はね。

でもその手段をフレンドリーに提供しているかというとしていない。というよりもできない。きちんと理解するためにはきちんと体系立てて教える必要があり、答えを手っ取り早く知りたい人にはとても受け入れがたい。

その点疑似科学はそれとは比べ物にならないほど安価な手間で、自分で考えてわかったような気にさせてくれる。たくみに思考を誘導し、「なるほど、答えはこれしかない!」と簡単でわかりやすく親切に納得させてくれる。科学は不親切だよね。いろんな可能性がありますとかいいだす。いじわるしてるとしか思えない。

また疑似科学で「難しいことは専門家に~」というのは、ようするに矛盾を突かれて反論に窮するようなケースだろう。つまり批判的な者に対する対応であり、そもそもそういう人を擬似科学は相手にしない。信用したいと思っている人(つまり潜在的に騙されやすい人)だけを相手にするのが最も効率がいい。SPAMメールと同じ。説得しにくい人を頑張って説得する必要などなく、簡単に引っかかる人をターゲットに絞り込めばいい。幸いそういう人の方が圧倒的に多いしw。

追記2013-06-11

100%疑似科学を見分けることは難しいが、2、3の疑似科学キーワードを覚えておけば7割は見分けられる。最有力なのが「波動」。

だからそういう見分け方をした時点で、すでに科学的手法から逸脱してるわけ。「これは疑似科学ですか?」と紙に書いて水の結晶に尋ねるのと同じ。しかもあなたに限ったことじゃなく、疑似科学を批判している人の多くが、その自覚がなく平気でそういうことを口にする。

安直な手段に走るのは、すでに疑似科学的思考に汚染されていると思うよ。科学というのはストイックなものでなければならない。前から怖そうなオッサンがやって来れば、誰でも警戒する。それは身を守る手段としては否定しない。しかしそれは経験や常識にもとづいた判断であって、科学的な判断ではない。人間の日常的な経験や常識に反する科学はたくさんある。

執筆: この記事はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年06月12日時点のものです。

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