社会に反抗することを「カッコイイ」とすることについて

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社会に反抗することを「カッコイイ」とすることについて


今回はnovtanさんのブログ『novtan別館』からご寄稿いただきました。

社会に反抗することを「カッコイイ」とすることについて

今日もみなさまの無駄なアクセス防止に一枚フィルターをかけるお仕事の始まりです。ええ。

先日、社会学者古市氏がテレビでした発言が話題。

「正直、なんかロックっていうか、格好いいかな、とも思ってしまって」「もちろん悪い事ではあるんですけども、ほんとに少人数でここまで学校を荒らして、これをニュースにするっていうのは、動機はわからないですけど、ある種、尾崎豊みたいで格好いい」と述べ、体制への反抗の象徴とされたミュージシャン・尾崎豊さんを引き合いに出し、犯行を評価するかのような過激な見解を示した。

「学校荒らし事件報道 「格好いい」発言の古市憲寿氏、以前は「格好悪い」発言で話題に」 2013年05月02日 『livedoor ニュース』
http://news.livedoor.com/article/detail/7643654/

これ、非常に難しい問題だとは思うんですよ。拡大すると、「ロリだが3次元には手を出さない」VS「JSと援交しまくり」とか「レイプ願望あるからその手のマンガやゲームを良く読む」VS「夜な夜な獲物を漁ってます」とか。「願望・欲望・価値観を抱くだけ」VS「実際にやった」の超えられない壁みたいな。

だから、「学校荒らしってカッコイイよね(やらないけど)」VS「カッコイイと思ったからやってしまった」という構図になっている。もちろん、件の中学生がそう思ってやったかどうかは別。若い子の無分別というのは年取ってからだと想像もつかない思考の結果だ。

社会に反抗する、というのは確かにある種のカッコ良さはある。ただ、大抵の人のそれは「さすがディオ!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!」でしかないよな。ヤクザもののマンガがそれなりに地位を得ているのも代償行為に近いよね。

なので、カッコイイと思うことはよいけど、それほんとにやったらアホだろ、と思うことも同時に成立しうるわけですね。これらを区別しないで「どっちが本心なんだ!」なんて問い詰めるというのは人間の原理というものを単純化しすぎなんであります。

というわけで本題。

こういう「正直な」発言を批判する人たちは、発言者個人に対して「お前は嘘を付くべきだ(空気を読むべきだ)」と語っていることに気づいていません。

「古市発言への批判に見る、「積極的に嘘を付け」と語る「道徳的」な人たち」 2013年05月04日 『ihayato.書店』
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/23410

先に述べたとおり、「カッコイイ」というのと「そりゃダメだろ」というのは本音として同居しうるのですよ。だから、TPOによって使い分ける。あるいは、分析的に提示する必要があるんですよね。特に古市氏は社会学者なんだから、そういうところを上手く説明するのがお仕事なんじゃないかな。番組見るとそういう文脈じゃないのかもしれないけど、この切りだされた記事を読む限りは少なくとも批判の対象にはなるでしょう。

ぼくはどんな立場にある人であれ、基本的には「嘘を付かない=自分の意見を正直に語る」ことが重要だと考えます。「臭いものに蓋」「空気を読め」みたいなメッセージは、非道徳的です。

「古市発言への批判に見る、「積極的に嘘を付け」と語る「道徳的」な人たち」 2013年05月04日 『ihayato.書店』
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/23410

もう一度道徳という言葉の意味を考えたほうが良いと思うんだけど、社会性ベースのコモンセンスなんだから、社会性に照らして正邪を語ることは別に「臭いものに蓋」ではないんですよ。「俺はロリペドレイプ願望スナッフマニアなので連続少女誘拐陵辱殺人事件の犯人が正直羨ましい」とか思っていても言ったらダメだろ?極端な例えですけど…

嘘をつく、というのと言うべきことだけを語る、というのは大きく違うんですよね。少なくとも内心については強制されない限りは語る必要はないし、強制的に語らせてはダメなものなんですよ。「嘘をつかないことが重要」という考え方は、他者に対して内心の吐露を強制する考え方で非常に気持ち悪い。本心を語ることに厳しい社会という側面があることは否定しませんが、社会が構成される一つの目的が「安全・安心」のある程度の保証である以上、秩序に影響のある行為についてある程度否定的な価値観を持たされること自体はそれほど問題とは思いません。

どれだけ受け入れがたかろうが、多様な意見をもつ個人が存在することを認識してはじめて、対話は動き出すものです。古市さんのファンというバイアスはあれ、ああいう場で「正直」な意見を意に介さず語ったのは、画期的で重要なことだと思います。

「古市発言への批判に見る、「積極的に嘘を付け」と語る「道徳的」な人たち」 2013年05月04日 『ihayato.書店』
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/23410

というけど、実のところ画期的でもなんでもない(よくヤンキー出身アイドルが武勇伝のつもりで自爆するし)。正直というのは必ずしも美徳ではない。あなたの隣人が実は殺人願望があり、自分の正直になった結果あなたを殺そうとしたとする。その正直さに免じて甘んじて殺されてあげる覚悟があるなら、すべての「正直」を褒め称えてもいい気がしますけれどもね。

執筆: この記事はnovtanさんのブログ『novtan別館』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年05月09日時点のものです。

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