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2012年12月1日緊急公開対談 嘉田由紀子 × 小沢一郎 〜日本の未来を語る〜 全文書起しです。

2012年12月1日
緊急公開対談 嘉田由紀子 × 小沢一郎 
〜日本の未来を語る〜 

◎日本未来の党の嘉田由紀子知事(以下、嘉田)/国民の生活が第一の小沢一郎代表(同小沢)
◎午後6時~1時間、千代田区麹町2の2の4―2階「CELL」
 下記全文書起しです。
対談pdfファイルはこちら

2012年12月1日緊急公開対談 嘉田由紀子 × 小沢一郎 〜日本の未来を語る〜 全文書起しです。

司会:それではこれから日本未来の党代表の嘉田知事と小沢一郎氏との「未来を語る」緊急公開対談をはじめさせていただきます。

<なぜ公開対談を>
嘉田:今日の小沢さんとの対談は、私自身が東京に来ると「小沢さんと何の話をしているの、いつどこで何の話したの?」と報道陣の方たちからよく聞かれます。何も隠している訳ではないので、せっかくなら公開にして見ていただければということで急遽、この対談を企画させていただきました。昨日、11月30日の党首公開討論会で、生意気な言い方になりますが、私が「国民のための政策を実現するために小沢さんを使いこなす」という言い方させていただきました。すると小沢さんのファンの方から「おまえにはそんな度量があるのか。そんな器じゃない」というような批判をいただいた。
今日は2人で日本の未来をどうつくるかを話し合って、それぞれの率直な思いをみなさんに聞いていただいて選挙戦に備えたいと思います。何にも打ち合わせしていません。ぶっつけ本番です。
私たちが初めてお出会いしたのは、2006年7月に私が滋賀県知事に就任してその直後、「嘉田便り」(知事日記)を検索しましたら、2006年11月15日でした。民主党本部にお伺いしたその時、小沢さんは代表をされていました。その時のこと覚えていらっしゃいますか?
小沢:お会いしたことは覚えています。日にちと内容までははっきりしませんが。
嘉田:そうですよね。民主党代表でいらしてお忙しかった時ですから。あの時も記者さんにフルオープンで30分ほど、滋賀県の県政について話をさせていただきました。私がリップサービスもあって「ぜひ小沢さん、政権交代を、政権を取ってください」というと、(そのことが)滋賀県内の新聞にのって、うちは(滋賀県)自民党が過半数なのでハレーションを起こしてしまいました(笑)。
まあ、そういう出会いが最初にありましたけれど、それで私はまず、小沢さんの人となりを皆さんに知ってほしいので、少し子ども時代のことをうかがいたいと思っています。

2012年12月1日緊急公開対談 嘉田由紀子 × 小沢一郎 〜日本の未来を語る〜 全文書起しです。

<小沢さん、子ども時代は自然児>
この本(『小沢主義』)には小沢さんの個人史や政治哲学が書かれています。小沢さんは1942年、岩手県でお生まれになられている。ちょうど今年70歳ですね。
小沢:年を取りました。
嘉田:子ども時代に印象的だったことはどんなことですか?
小沢:ぼくらの子供の時には遊ぶものは何もなかったので、自分たちで冬はそりに乗ったり、スキーとかスケートをしたり。スキーといっても長靴に竹をつけたり、下駄のスケートとか、そういうもので遊んで、夏は野山を駆け回っていました。今と違いましてテレビもゲームもないですので、学校が終わると子ども達はすぐ集まってわいわい、そういう時代でとても楽しかったです。
嘉田:冬のスキーというのは、竹を火であぶって曲げてつくる技術ですね。私は戦後の昭和25年生まれで、8歳年下ですが時代はあまり変わらないですね。
小沢:だいたい同じ世代ですね。夏はぼくのところには北上川が流れていて、小さな沢みたいなのがいっぱいありまして、ドジョウを捕ったり、フナ、ナマズとか、カニとか、いっぱいいましたから。

小沢:流れをせき止めて、一網打尽に。
嘉田:大人に怒られたんじゃないですか?
小沢:農家の方にとっては用水路ですから、大目玉ですよね。山の柿や栗を取っては怒られて。山のものだけではなく屋敷に植えられている栗や柿も盗って、怒られてね。
嘉田:台風が来ると楽しいですね。落ちたものを拾えるから。
小沢:そうそう。朝から晩まで遊んでました。
嘉田:子どもにとってそういう遊びは生きる力を身に付ける機会になりますね、魚つかみならキャッチする力。沢を止める魚捕りは滋賀県では“かいどり”といいますが、一人、二人でやる遊びと違って、社会性、役割分担が必要なんですね。水をかき出す人とか、バケツ持つ人とか、見張りする人とか。そこで社会性が育つ。
小沢:そうですね。そういう中で先輩から後輩に知識が引き継がれていきますからね。今、いじめが問題になっていますが、当時も目上の人は殴ったりなんかしましたよ。でも、限度を心得ていましたよ。これ以上殴ったらダメだとか、先輩から学んだり。今はいじめ、いじめと騒ぐけど、当時も子ども同士で殴った。ガキ大将と子分との間で、いくら殴られても何をしても一緒に遊んでいるという。そういうことは今はなくなっちゃいましたね。
嘉田:非常に陰湿化しているんです。孤立化していく。じつは昨年10月、大津市の中学生が自殺し、非常につらい事態が起きました。その背景を見ていきますと、もっともっとのびのびと、争うところは争えばいいのですが、遊んでいながらでも、笑いながらでも、心は荒んでいるという。
小沢:僕の田舎は本当にど田舎なんですけれども、今は子どもがほとんど外に出てこないんですね。昔は一声で何十人も集まったんですけどね。うちの中ばっかりで、こもりきりでテレビやゲームばかりで社会性が身につかない、分からないんじゃないでしょうか。
嘉田:では、小沢さんは思いっきり自然の中で育って、それで高校から東京ですか。

<田舎ものが東京に出て勉強に苦労>
小沢:高校から東京です。田舎と東京、勉強の中身に格差がものすごくあるんです。だからもう、中学3年生で東京に来たが、最初は全然だめでしたねえ。その頃が一番勉強したかな。
嘉田:そうすると昭和32~33年ですから、今の皇太子さまがご成婚される直前ですね。映画『三丁目の夕日』の頃ですが、お父さまは、当時も東京で衆議院議員をされていたんですよね?
小沢:そうでしたけれども、昔のことですので。もともと親父はあまり家に帰ってこなかったですから。それまでも田舎で母子家庭みたいにお袋と過ごしていました。東京までは10時間ぐらいかかりましたかね。
嘉田:それでは東京に出てきたとき格差というか、田舎から出てきた劣等感は感じませんでしたか?
小沢:学力の劣等感はありましたよ。学力の格差がね。あと、ぼくは田舎で育ったものですから電車とか地下鉄とか映画館とか人混みに入ると具合が悪くなりましてね。吐き気がしちゃう。しばらく駄目でした。
嘉田:地下鉄の混雑なんて目を見張りますよね。それで大学はどう選んだのでしょう?
小沢:ぼくの高校は一応進学校でしたから。進学校といっても都立でしたけど、東大を受けて、早稲田を受けて、というのがほとんどの連中で。そのわりにのんきな高校で、ほとんど浪人して。僕は2年浪人しました。親が「もういい加減にせえ」と言いまして。
嘉田:浪人中、いろいろ考えたのでは?
小沢:湯島天神のそばに住んでいて、駿台予備校がお茶の水でしたから。
嘉田:湯島天神が出たので近江自慢を少し。不忍池というのがありますよね、あれは琵琶湖を見立てているんです。そもそも寛永寺は東の比叡山なんです。寛永寺の薬師如来。あれは、天海僧正が滋賀県草津市のお寺からお迎えしたんです。不忍の池を琵琶湖に見立てて、水面が光を反射して薬師如来にお力を授けるように配置されたんです。不忍の池の真ん中に弁天様がありますよね、あれが竹生島を見立てています。事務所の横の赤坂の山王日枝神社、山王さんは琵琶湖岸の坂本から勧請されています。もともと日枝神社は、比叡山を護る神様です。だから寛永寺をお守りするために建てられた神社です。
小沢:ほー、全然知らなかなかった。

2012年12月1日緊急公開対談 嘉田由紀子 × 小沢一郎 〜日本の未来を語る〜 全文書起しです。

<西郷隆盛が好きだが、尊敬するのは大久保利通>
嘉田:最初に政治家になろうとしたきっかけは?
小沢:ぼくは10代のころから歴史小説が好きでよく読んでいました。特に幕末明治維新ですね。そういう意味で政治には興味がありましたね。
嘉田:それでは尊敬する歴史的な政治家は誰ですか?
小沢:政治家としては大久保利通ですね。好きな人は西郷隆盛ですが。
嘉田:明治維新の時に日本を作ってきた政治家。
小沢:そういう人を育てたもっと偉い人は、小松帯刀。薩摩の家老ですが、この人が生きていたらもっとよくなったかもしれませんね。坂本龍馬みたいな人もいいですけれども、革命後の国を治めていくのは、大久保のようなああいうタイプでしょうね。
嘉田:大久保利通は地租改正で行政の基礎である土地制度をつくった政治家ですね。土地制度というのは太閤検地、その前の律令政治から行政の基本ですからね。大久保利通は明治政府を作ったテクノクラート、官僚ですね。
小沢:官僚制度も彼がつくったようなものですね。基本は大久保ですね。
嘉田:明治テクノクラートですね。龍馬はかっこいいけれど、新しい時代を切り開いたといえるでしょうけれど、人々の幸せのために社会と産業の基礎をつくったのは大久保利通。
小沢:嫌われていますけどね、冷酷だとかいわれて。鹿児島で大久保利通の銅像ができたのはつい最近でしょう。ぜったいダメでしたからね。
嘉田:鹿児島では西郷さんでしたからね。人情味のある西郷さん、大久保は冷淡。
小沢:誰かそういう人が居ないとやっぱり明治政府はできなかった。
嘉田:頭は冷たく、心は熱く。私はそれで体が張り裂けそうになることがあるけど、平等性・公平性をいわれたら、そうなるとやはり大久保と西郷は対比される。
小沢:そうですね。ぼくも意外と浪花節なんですけれども、いつも言うのは、政治の決断は客観的にしなきゃいけないと自分に言い聞かせています。だから嫌われている(笑)

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