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2012年12月1日緊急公開対談 嘉田由紀子 × 小沢一郎 〜日本の未来を語る〜 全文書起しです。

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2012年12月1日
緊急公開対談 嘉田由紀子 × 小沢一郎 
〜日本の未来を語る〜 

◎日本未来の党の嘉田由紀子知事(以下、嘉田)/国民の生活が第一の小沢一郎代表(同小沢)
◎午後6時~1時間、千代田区麹町2の2の4―2階「CELL」
 下記全文書起しです。
対談pdfファイルはこちら

司会:それではこれから日本未来の党代表の嘉田知事と小沢一郎氏との「未来を語る」緊急公開対談をはじめさせていただきます。

<なぜ公開対談を>
嘉田:今日の小沢さんとの対談は、私自身が東京に来ると「小沢さんと何の話をしているの、いつどこで何の話したの?」と報道陣の方たちからよく聞かれます。何も隠している訳ではないので、せっかくなら公開にして見ていただければということで急遽、この対談を企画させていただきました。昨日、11月30日の党首公開討論会で、生意気な言い方になりますが、私が「国民のための政策を実現するために小沢さんを使いこなす」という言い方させていただきました。すると小沢さんのファンの方から「おまえにはそんな度量があるのか。そんな器じゃない」というような批判をいただいた。
今日は2人で日本の未来をどうつくるかを話し合って、それぞれの率直な思いをみなさんに聞いていただいて選挙戦に備えたいと思います。何にも打ち合わせしていません。ぶっつけ本番です。
私たちが初めてお出会いしたのは、2006年7月に私が滋賀県知事に就任してその直後、「嘉田便り」(知事日記)を検索しましたら、2006年11月15日でした。民主党本部にお伺いしたその時、小沢さんは代表をされていました。その時のこと覚えていらっしゃいますか?
小沢:お会いしたことは覚えています。日にちと内容までははっきりしませんが。
嘉田:そうですよね。民主党代表でいらしてお忙しかった時ですから。あの時も記者さんにフルオープンで30分ほど、滋賀県の県政について話をさせていただきました。私がリップサービスもあって「ぜひ小沢さん、政権交代を、政権を取ってください」というと、(そのことが)滋賀県内の新聞にのって、うちは(滋賀県)自民党が過半数なのでハレーションを起こしてしまいました(笑)。
まあ、そういう出会いが最初にありましたけれど、それで私はまず、小沢さんの人となりを皆さんに知ってほしいので、少し子ども時代のことをうかがいたいと思っています。

<小沢さん、子ども時代は自然児>
この本(『小沢主義』)には小沢さんの個人史や政治哲学が書かれています。小沢さんは1942年、岩手県でお生まれになられている。ちょうど今年70歳ですね。
小沢:年を取りました。
嘉田:子ども時代に印象的だったことはどんなことですか?
小沢:ぼくらの子供の時には遊ぶものは何もなかったので、自分たちで冬はそりに乗ったり、スキーとかスケートをしたり。スキーといっても長靴に竹をつけたり、下駄のスケートとか、そういうもので遊んで、夏は野山を駆け回っていました。今と違いましてテレビもゲームもないですので、学校が終わると子ども達はすぐ集まってわいわい、そういう時代でとても楽しかったです。
嘉田:冬のスキーというのは、竹を火であぶって曲げてつくる技術ですね。私は戦後の昭和25年生まれで、8歳年下ですが時代はあまり変わらないですね。
小沢:だいたい同じ世代ですね。夏はぼくのところには北上川が流れていて、小さな沢みたいなのがいっぱいありまして、ドジョウを捕ったり、フナ、ナマズとか、カニとか、いっぱいいましたから。

小沢:流れをせき止めて、一網打尽に。
嘉田:大人に怒られたんじゃないですか?
小沢:農家の方にとっては用水路ですから、大目玉ですよね。山の柿や栗を取っては怒られて。山のものだけではなく屋敷に植えられている栗や柿も盗って、怒られてね。
嘉田:台風が来ると楽しいですね。落ちたものを拾えるから。
小沢:そうそう。朝から晩まで遊んでました。
嘉田:子どもにとってそういう遊びは生きる力を身に付ける機会になりますね、魚つかみならキャッチする力。沢を止める魚捕りは滋賀県では“かいどり”といいますが、一人、二人でやる遊びと違って、社会性、役割分担が必要なんですね。水をかき出す人とか、バケツ持つ人とか、見張りする人とか。そこで社会性が育つ。
小沢:そうですね。そういう中で先輩から後輩に知識が引き継がれていきますからね。今、いじめが問題になっていますが、当時も目上の人は殴ったりなんかしましたよ。でも、限度を心得ていましたよ。これ以上殴ったらダメだとか、先輩から学んだり。今はいじめ、いじめと騒ぐけど、当時も子ども同士で殴った。ガキ大将と子分との間で、いくら殴られても何をしても一緒に遊んでいるという。そういうことは今はなくなっちゃいましたね。
嘉田:非常に陰湿化しているんです。孤立化していく。じつは昨年10月、大津市の中学生が自殺し、非常につらい事態が起きました。その背景を見ていきますと、もっともっとのびのびと、争うところは争えばいいのですが、遊んでいながらでも、笑いながらでも、心は荒んでいるという。
小沢:僕の田舎は本当にど田舎なんですけれども、今は子どもがほとんど外に出てこないんですね。昔は一声で何十人も集まったんですけどね。うちの中ばっかりで、こもりきりでテレビやゲームばかりで社会性が身につかない、分からないんじゃないでしょうか。
嘉田:では、小沢さんは思いっきり自然の中で育って、それで高校から東京ですか。

<田舎ものが東京に出て勉強に苦労>
小沢:高校から東京です。田舎と東京、勉強の中身に格差がものすごくあるんです。だからもう、中学3年生で東京に来たが、最初は全然だめでしたねえ。その頃が一番勉強したかな。
嘉田:そうすると昭和32~33年ですから、今の皇太子さまがご成婚される直前ですね。映画『三丁目の夕日』の頃ですが、お父さまは、当時も東京で衆議院議員をされていたんですよね?
小沢:そうでしたけれども、昔のことですので。もともと親父はあまり家に帰ってこなかったですから。それまでも田舎で母子家庭みたいにお袋と過ごしていました。東京までは10時間ぐらいかかりましたかね。
嘉田:それでは東京に出てきたとき格差というか、田舎から出てきた劣等感は感じませんでしたか?
小沢:学力の劣等感はありましたよ。学力の格差がね。あと、ぼくは田舎で育ったものですから電車とか地下鉄とか映画館とか人混みに入ると具合が悪くなりましてね。吐き気がしちゃう。しばらく駄目でした。
嘉田:地下鉄の混雑なんて目を見張りますよね。それで大学はどう選んだのでしょう?
小沢:ぼくの高校は一応進学校でしたから。進学校といっても都立でしたけど、東大を受けて、早稲田を受けて、というのがほとんどの連中で。そのわりにのんきな高校で、ほとんど浪人して。僕は2年浪人しました。親が「もういい加減にせえ」と言いまして。
嘉田:浪人中、いろいろ考えたのでは?
小沢:湯島天神のそばに住んでいて、駿台予備校がお茶の水でしたから。
嘉田:湯島天神が出たので近江自慢を少し。不忍池というのがありますよね、あれは琵琶湖を見立てているんです。そもそも寛永寺は東の比叡山なんです。寛永寺の薬師如来。あれは、天海僧正が滋賀県草津市のお寺からお迎えしたんです。不忍の池を琵琶湖に見立てて、水面が光を反射して薬師如来にお力を授けるように配置されたんです。不忍の池の真ん中に弁天様がありますよね、あれが竹生島を見立てています。事務所の横の赤坂の山王日枝神社、山王さんは琵琶湖岸の坂本から勧請されています。もともと日枝神社は、比叡山を護る神様です。だから寛永寺をお守りするために建てられた神社です。
小沢:ほー、全然知らなかなかった。

<西郷隆盛が好きだが、尊敬するのは大久保利通>
嘉田:最初に政治家になろうとしたきっかけは?
小沢:ぼくは10代のころから歴史小説が好きでよく読んでいました。特に幕末明治維新ですね。そういう意味で政治には興味がありましたね。
嘉田:それでは尊敬する歴史的な政治家は誰ですか?
小沢:政治家としては大久保利通ですね。好きな人は西郷隆盛ですが。
嘉田:明治維新の時に日本を作ってきた政治家。
小沢:そういう人を育てたもっと偉い人は、小松帯刀。薩摩の家老ですが、この人が生きていたらもっとよくなったかもしれませんね。坂本龍馬みたいな人もいいですけれども、革命後の国を治めていくのは、大久保のようなああいうタイプでしょうね。
嘉田:大久保利通は地租改正で行政の基礎である土地制度をつくった政治家ですね。土地制度というのは太閤検地、その前の律令政治から行政の基本ですからね。大久保利通は明治政府を作ったテクノクラート、官僚ですね。
小沢:官僚制度も彼がつくったようなものですね。基本は大久保ですね。
嘉田:明治テクノクラートですね。龍馬はかっこいいけれど、新しい時代を切り開いたといえるでしょうけれど、人々の幸せのために社会と産業の基礎をつくったのは大久保利通。
小沢:嫌われていますけどね、冷酷だとかいわれて。鹿児島で大久保利通の銅像ができたのはつい最近でしょう。ぜったいダメでしたからね。
嘉田:鹿児島では西郷さんでしたからね。人情味のある西郷さん、大久保は冷淡。
小沢:誰かそういう人が居ないとやっぱり明治政府はできなかった。
嘉田:頭は冷たく、心は熱く。私はそれで体が張り裂けそうになることがあるけど、平等性・公平性をいわれたら、そうなるとやはり大久保と西郷は対比される。
小沢:そうですね。ぼくも意外と浪花節なんですけれども、いつも言うのは、政治の決断は客観的にしなきゃいけないと自分に言い聞かせています。だから嫌われている(笑)

<選挙は川上から、一軒一軒足で回る>
嘉田:なるほど(笑)。ところでこの本の中で最初に、選挙の要請があった時、徹底的に一軒一軒回ったと書かれている。選挙は川上から、最初に過疎地から回ると書いてありますが、このあたりの姿勢、これは誰から、どなたから教わったのでしょうか?
小沢:選挙で教わったのは田中(角栄)先生なんですけど。ぼく自身が思うことでもありますが、直接、一人一人と言葉を交わさないと、何を考えているのか分からないじゃないですか。若い人にも時間がある限り、徹底して歩いて話しなさいと。山奥の人にはめったに会えないですから、そういう過疎地の人からまず会う。山の人は必ず町に降りてくる。川上から回れば、町の人も「ああ、自分の故郷に行ってくれたのか」となりますからね、選挙戦略、理屈の上でもいい。
嘉田:小沢さんがそういう選挙をやられていたことは知りませんでしたが、私も2006年の最初の滋賀県知事選挙の時に、琵琶湖淀川水系の最上流の余呉町の中河内というところから歩き始めました。もともと私は30年、フィールドワーカーで琵琶湖の周囲の人から話を聞いてきました。それで、選挙も同じスタイルでやりたいと思いました。そんなのは効率がわるい、5人10人しか集まらないところなんかに半日かけていくよりも大津市の真ん中からはじめなさいとアドバイスを受けたのですが、私はそれでは気が済まなかったのです。このあたりは不思議な共通項があるとおもうのですが。
小沢:その話を後で聞いたときに、ぼくはものすごく共感を覚えて、感銘を受けました。同じように考えて同じように実践している人がいるんだなと。あの選挙で「もったいない」と訴えたのですよね。「もったいない」というのは今は死語になったような社会ですが、もったいないを訴えた選挙戦に興味を覚えて、遠くからですが共感を覚えました。
嘉田:ありがたいですね、06年7月が選挙ですが、そもそもそれまで私は、琵琶湖博物館の研究員でしたから、県職員ですね。それから2000年から2006年までは京都精華大学の教授をしておりまして、外の人からみたら突然に知事に手を挙げたのが4月18日なんです。何も組織がない。相手は自公民200団体が推薦した現職でした。
小沢:与野党相乗りですね。

<もったいない選挙で票をもらった嘉田>
嘉田:はい。本当に手作りの選挙でした。最初に琵琶湖のほとりで出馬会見をしました。琵琶湖の環境保全や子育て支援、新幹線の新駅建設やダム建設など公共事業の見直しを訴えました。集まってくれたのは20人位しかいませんでした。泡沫候補と言われましたが、一生懸命、自民、民主、公明、共産とすべての党派に推薦を依頼しました。共産は候補を擁立しているので「何しに来たのか」と言われた。その時に「知事になったら共産党もふくめ、すべての政党ののみなさんにもお世話にならないといけませんから」といいました。
小沢:あの時の知事選では民主党が推薦を出せず、本当に申し訳ない。連合も県連も役に立たなかった。
嘉田:連合も現職支援でしたからね、泡沫候補を応援することはできないのは当然のことです。税金の無駄遣いもったいない、子供の力をいかさないのはもったいない、豊かな自然環境を大事にしないのはもったいないという、三つのもったいないを柱に、17日間の選挙戦の最後の三日、四日くらいは盛り上がりました。街宣車がマンションなんかにいくとその時のシンボルカラーは黄緑色だったんですが、その色のタオルを窓からふってくれるんです。車もクラクションをならしてくれた。無組織ですよ。
小沢;ほんとうにすばらしい選挙でしたね。感心しました。
嘉田:そういう意味では、投票行動というのは、普通はこれを作るよ、道路をつくるよ、ダムをつくるよ、と言って約束して票をいただく。私の場合は、新幹線新駅つくりません、ダム、廃棄物処理場をつくらないといって当選しました。つくらないといって選挙に勝った人はあなたがはじめてだと、政治社会学の方が調査に来られました。
かつて高度経済成長期には、政治家は利益を分配するのが仕事だといわれましたが、今は、リスクの分散や、負担の分担を考えないといけない時代です。そういう時代のリーダーというのは、どのようにあるべきでしょうか。小沢さんにおうかがいしたいと思いますが。

<政治家が方向を示し、官僚が本領を発揮する>
小沢:戦争でやられましたが、その後は右肩上がりの経済状況で、儲かったお金を分配さえしていたら、その時にはまじめに理念とかいらないし、政治家がリーダーシップを発揮する必要もない。結果的に官僚にすべてを任せちゃったということですから。それがそういう形だけが続いている。官僚は行政をやるために、自分たちが政治をやる。実質政治をしているみたいな錯覚に陥っているし、政治家もそれが体質に染みついてしまった。
だからこれを打破することはなかなかできないんですが。やはり、今、右肩上がりの時代が終わった。国際間でもものすごく互いのエゴがぶつかり合って紛争が起きるそういう時代ですから。ここは政治家がきちんと官僚に対して理念を示すと、同時に国民にはっきりモノを言える政治家でなければいけないんじゃないかなというふうに思っています。
 ぼくは政治家がきちんと決断して責任を取るという姿勢を示すと官僚は付いてきてくれると思います。優秀な官僚は心の中ではいままで通りではだめだな、変えようと分かっていますから。でも官僚の立場から変えなくちゃということは言えないので、だから、政治家がそれをいって本領の能力を活用するというようにしないといけないんじゃないかと思います。

嘉田:今は、昔に比べてますます難しくなっている面はありますね。でも、私は知事選で滋賀のいたるところで、滋賀県民の民度の高さを感じました。知事自身がいうのはおかしいのですが。
昔、ある記者が「軍艦に対して手こぎ船」と投票日前に言ったんですね。たしかに相乗りですからそうかもしれませんが、逆に「軍艦は石油がないと動きませんよね。手こぎ舟は自分の手で動くから草の根選挙はできます」といいました。結果的には、草の根選挙が勝ったんです。18万票に対して21万票で、3万票の差がつきました。投票する人がどういう思いで選んでくれるかですよね。少なくともあの時の選挙の滋賀県民はその政策で選んでくれたんです。駅いらない、ダムいらない、処分場いらない、で選んでくれたんです。
小沢:だから、今はもっと進んでいると思いますが、そのときはまさに国民意識が戦後の惰性の官僚支配のままで「このままじゃいけないんじゃないか」という思いが芽生えつつあって広がっていたんでしょうね。その時に嘉田さんがそういう考えを訴えたからみんなに共感を呼んだんでしょうね。
嘉田:新幹線新駅の必要性についてアンケートでは、だいたい経済発展できるとか、経済効果がどれだけあるなどという数字がいっぱいでるのですが、本当だろうかと思ったんです。それで、地元に住んでいる知り合いに「こんなお金のない時代に新駅つくってええんやろうか」と聞いてみたんです。そうすると「息子が結婚できへん、孫の顔がみたいんや」という返事が返ってきました。これは多くの県民の思いかもしれない。だから、「子育て、婚活、結婚、若い人支援、高齢者は孫ができる」それは一つの大事な政策だろうと思って柱にしたんです。そのあたりはまさに草の根で歩いてきたからこそだと思います。

<原発いらない、という自分たちの声が届く政党がほしい>
小沢:自分たちの声をほんとうに聴いてもらえるということを、多くの人が望んでいたんじゃないんでしょうかね。それで国民全員が行動的になりましたよね。欧米先進国的市民活動が盛んになりましたよね。びっくりしたのは、毎週金曜日にやっている首相官邸前の原発反対の集会。
嘉田:官邸前の。
小沢:10万人、20万人というあの集会、あれは特定の団体や政党がやっているんじゃない。インターネットなんかで市民同士が呼びかけてなんですね。日本社会でほんとうにそういう形での初めての集会じゃないかと思う。国民の意識が、自分たちのいのちや暮らしに直接関わることが多くなって、だからやっぱり真剣に考えて行動しようという意識になってきているのではないでしょうか。
嘉田:そうですね、特に3・11が大きなきっかけで。政治が遠いところでお任せになっていたときから、原子力発電所はほんとうにひどい状況になっていて、こんなに隠されていて福島の人々は、家を追われ、故郷を追われ、命の危険に脅かされている。日本全体が目が冷めたといえるんではないでしょうか。
小沢:政府の発表も東電もそうですが、昔の大本営発表と一緒で真実を国民に知らせないでしょう。直接的には、福島県民にでしょうけど国民全体にも知らせない。少しずつ、少しずつ、真実が分かってきて大変だと今なっていると思いますが、ぼくは福島原発の放射能をしっかりと封じ込めないかぎり日本の未来ない。非常に危ない状況だとぼくは思います。
嘉田:今はまだ4号機などは、使用済み核燃料は野積みと一緒ですからね。たいへんですよ。もう一度、地震がきたらどうするんだといいたいですね。海外からもたいへんに心配されている状況で、情報を寄せてくれます。
小沢:安全だ安全だという報道ばかりが出てきますよね。
嘉田:「収束」といった首相がいましたね。
小沢:ドイツに行きました。ドイツは10年後に原発廃止を決めたでしょう。決定は昨年でしたから、今からは9年後ですが。ドイツはなんで廃止を決めたかというと、日本の福島事故ですよ。全国民、全政党が、財界も組合もすべてが10年後廃止しようと納得したんです。日本では、10年後に原発廃止を主張しているのは私たちの政党だけですよといったら、ドイツでえらいびっくりされました。事故を起こした当事国でなんでそうなんだろうといわれました。皆で考えていかないと大変な事になると思います。

<未来の党の発足までの裏話>
嘉田:それで、たぶん今日きていただいている記者さんたちがもっとも知りたがっていることだと思うのですが、いったいどういうふうに未来の党発足の話がでてきたのかということにお答えしようと思います。9月末、岩手県の達曽知事が岐阜国体の直前にちょっと大津に来るからと連絡がありました。話題は県政の話かと思ったら、小沢先生にあってくれという話を聞いたんです。まったく寝耳に水というか、まったく想像できなかったので、それで、私は小沢さんに会わせてもらうほどの人物じゃないといいました。その後、10日間ほど、いろいろ悩んだんですが、一度はお話を聞かないと失礼だ、と思って10月中頃に最初にお会いして政治談議などさせてもらいました。その後もふくめて、3回会わせていただきました。小沢さん、なぜ私に声をかけることになったのでしょうか?
小沢:私はさっきも申しあげましたが、06年の選挙の時からものすごく関心を持っていた。「もったいない」ということを主張して現職の相乗りの相手に勝った。ものすごく感銘を持ちました。それからその後の県政の職員とか、規制職員とか行政について、摩擦が起きますよね。
嘉田:ダムをつくるといっていた職員が、私が知事になったとたん、ダムやめましょうというし、議会はダム推進でしたから、怒涛のような議会でした。
小沢:そこを上手く乗り越えてきておられるから、大したもんだとずっと思ってたんですよ。

<民主党発足時のマニフェストに嘉田はワクワク>
嘉田:2009年の民主党のマニフェストを見て、私は本当にわくわくしました。何にわくわくしたかというと一つは地域主権改革です。地方出先機関の廃止ですね。滋賀県知事は琵琶湖をお預かりしていますけど、管理しているのは国土交通大臣です。自分のところの知事であってなにもできない。意見をいうことはできますけど。大戸川ダム、必要性が低いと思って、当時の大阪橋下知事と京都山田知事と3人で建設凍結を求めたのですが、霞ヶ関の抵抗がすごいんです。私は「ダムなし」という県民との約束で当選しているんですが、国土交通省から土木部長が来ていますから、ダムをつくる方針なんですね。滋賀県は昭和40年代からずっと国土交通省からの土木部長です。ダムをつくらせる方向に持っていこうとするんです。本当に苦労しましたから、出先機関の権限移譲の受け皿を作ってくれたら原則廃止ですという方針はありがたかったです。
それからもう一つは、子育て支援策です。さっき新幹線新駅問題の時にもいいましたが、多くの人が子どもや孫がほしいんです。それこそ、国家としても社会保障なども子供が生まれないと、財政難に陥り苦しくなるんです。ヨーロッパでも、フランス、デンマークなどの子育て支援がしっかりしている国は、一人の女性が二人以上の子供を産むので、人口は安定しているので、財政難にも陥ってない。女性が生き生きして、観光業でも製造業でも、国家全体が多様で元気ですね。その辺も含めて、民主党の子育て支援システムにわくわくしました。八ッ場ダムの中止ももちろん「この通りだ」と思ったんです。私も「コンクリートから人へ」を実現しようとしていましたから。その中でいろいろご苦労あったと思うけど、民主党政権が頓挫した理由は?

<霞が関のコントロールをはずして、地方に金と権限を>
小沢:国の統治のあり方を根本的に変えましょう。地域のことは地方に任せよう。そのために。仕組みを根本的に変えて、霞ヶ関のコントロールを地方に移管しましょうと。霞が関がコントロールしてきた理由はお金だから、これを地方にまかせましょう、国は国家レベルのことだけやろうという考え方でできた。その前提に立ってあのマニフェストはすべてができていたのです。そこのところの意味がよく分かっていなかった人が、かなりいたということでしょう。
嘉田:多かったですよ。関西広域連合は出先機関の受け皿にすることも目的のひとつで作ったんです。民主党調査会に言ったら「こんなことがお前らできるのか」とつるしあげられたんですよ。びっくりしました。あなたたち、マニフェストに書いているじゃないと。
小沢:意味がよく分かっていなかった人がたくさんいたことと、わかっていてもそんなことできるわけがないと思い込む人がほとんどだったんです。だからなにもできなかった。自民党と同じか、それより悪くなったという人もいるようなことになってしまったんですね。本当に残念です。

<小沢さんは口に苦い良薬、嘉田は漢方薬に西洋医学がプラス>
嘉田:もっと、お話したかったんですが、時間が迫ってきました。私、昨日、滋賀県で公開討論会について記者さんに聞かれたのですが、大阪の橋下さんを劇薬、私を漢方薬といいました。小沢さんはどうですかと訊かれましたから、小沢さんを「苦い薬、良薬口に苦しで効果は高い薬だ」といったんです。
小沢:嘉田さんは漢方薬だけではないと思う。本当に行政を変えていこうとするのはかなり西洋医学の手法を取り入れないと。漢方薬と西洋医学と両方を持ち合わせている気がするのです。
嘉田:自覚なかった。
小沢:今は漢方薬だけじゃ駄目な時代です。時間的に間に合わない。もう少し西洋医学的手法も取り入れないといけない気がする。そこは絶対にそう思いますし、嘉田さんならできます。
嘉田:ありがとうございます。小沢さんのお話をうかがうと、国を変えなければならない、国民のための国政なのだということを、あらためて肝に銘じました。27歳から政治家をやってこられて、それも田舎を知っているからお一人お一人の心に寄り添った政治ということを実践してこられたのだと思います。
 私もある意味では研究者として同じように地域に寄り添ってフィールドワークをしてきた人間ですから、とても共感しました。

<原子力は再稼動ゼロ、10年で卒業>
嘉田:未来の党が掲げる原子力政策について、国民のみなさんのもっとも関心のある事ですから、気持ちを合わせて10年後にどういう成果を求めているのかについて、お聞かせください。
小沢:ドイツでは、今すぐに原発を全部停めたら電力不足になってしまいます。でも、日本では、今、原発はほとんど止まっていますが、電力不足にはなっていません。
嘉田:大飯原発の3、4号機だけ。
小沢:ほとんど動いていない。それでも電力不足にはなっていません。電力の供給能力は日本の場合ある。電力会社としては、化石燃料を使うから燃料費が上がるというコストの問題と、地球温暖化のCO2の問題さえ解決すれば、原発停止することに何ら問題ない。ぼくはそう思います。
ドイツでは今年、代替(再生可能)エネルギーを25%にしたいと言っていた。ゆくゆくは90%にしたいといっていました。日本の方が、地熱も利用できるし、風力も利用できるし、太陽光も利用できるし、なんでもできるのではないかとドイツの人にいわれたんです。ぼくは代替エネルギーについては何の心配もしていません。
問題は福島の事故の放射能封じ込めをどうするかということです。そして原子炉を廃炉にした場合の高レベル廃棄物はいったいどこに持っていくのか、処理方法は世界中でどこの国も解決していません。このことの方がはるかに大きくて、マスコミはじめ経済界も電気料金が上がるとかなんとかいいますが、このコストは莫大なものです。高レベル廃棄物の処理費用は電気料金には含まれていないのですから。まして、事故の大規模な被災額はどれだけ国民が負担するのかということまで考えないと。電気料金の値上げなんていっているレベルの話ではないですよ。ですからドイツでは7000円料金が上がるとかいっていますが、国民は電気料金があがることはもうわかっていますよ。原子力に安易に移行してきたことを福島の事故を契機に自然エネルギーに転換することは難しくないですよ。
嘉田:すばらしいヒントを教えていただきました。今、未来の党の代表代行を務めていただいている飯田哲也さんを中心に発送電分離、代替エネルギーなど、どうやったら原発稼働ゼロを基本に、稼働ゼロでもやっぱり廃炉には時間がかかる、これを10年間で卒業しようということで「卒原発プログラム」を発表しようということで、卒原発プログラムを明日、発表させてもらいます。小沢前代表からバトンタッチしてさせてもらいたいと思います。
小沢:ドイツでも風力や太陽光だと、再生可能エネルギーにかなりのエネルギーをつぎ込んでいるんですね。それでもって日本政府が知らん顔して、電力会社をやれといっても無理なんで、国家的な具体的な目標を立て、ぜひ思う存分、嘉田代表が思うようにやってください。

嘉田:ありがとうございます。ちょっと予定の時間が過ぎてしまいましたが、「小沢さんは怖い人や、だまされるな」というメールやFAXが滋賀県庁にこんなに(30㌢ほどの厚み)来ている(笑) みなさん、今日の対談はどうでしたか? 私も大いに勉強させていただきました。
小沢さんの本の中に「選挙とは国民が自らで未来を選択するためのものだ」とあります。これから選挙戦に入りますけれども、国民のみなさまに自らがそれぞれ自分の意思で、未来の党でなくてもいい、何よりも政治に関心をもってほしい。投票率が、20代が20%、30代が30%、60代が60%そういう状態だから若い人の方を向いた政治になっていない。今、何を選択するかが、日本の未来につながります。未来につながる責任があります。ぜひ今回の衆院選、必ず投票に行っていただきたいと思います。
私たち未来の党も、一丸となって頑張ります。
小沢:頑張りましょう。

以上

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