プラットフォーム戦略の本質(平野敦士カール)

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「プラットフォーム戦略の本質」

『IT批評 1号 特集:プラットフォームへの意思』(2010年12月刊行)より平野敦士カールさんの「プラットフォーム戦略の本質」を転載。

プラットフォーム戦略の本質

日本企業の課題と可能性

IT時代、もはやどの企業もプラットフォーム戦略に対するスタンスを明確にしなければ、長期的なヴィジョンを描けない時代になった。日本企業は、プラットフォーム戦略とどう向き合うべきなのか。

プラットフォームとプラットフォームの衝突

 
 2006年から中国でサービスを始めていたグーグルが今年1月、たび重なる中国政府の検閲圧力に対し「撤退も辞さず」との声明を発表した。大きく報道されたこの対立の構図を単なる「国家対インターネット企業」と見ると、本質を見誤る。これはプラットフォームとプラットフォームの衝突そのものだ。

 そう見てみると「従わないのなら出て行け」との姿勢を崩さぬ中国の戦略も、良い悪いは別にして理解はできる。

 国家という統治システムがあり、その上にプラットフォームが乗るという重層的な形が唯一のありようではなくなり、インターネット上のプラットフォームが国家と対峙し、国家に匹敵するほどのプレゼンスを持つようになった、と考えるべきなのだ。個人や企業は言うに及ばず、国家までもが、プラットフォームとどういう関係を結ぶのか、戦略的思考を迫られる時代が到来しているのである。

アライアンスによる化学反応

 たとえば、モノを買いたい・サービスを受けたい人たちと、モノを売りたい・サービスを提供したい人たち。両者を合わせてプレーヤーと呼ぶ。多くのプレーヤーがその場に集まることで便利さを味わい利益を享受できるような、プレーヤーどうしのマッチングの「場」を、プラットフォームと呼ぶ。

 パートナーを求める人たちに出会いの場を提供する「お見合いクラブ」や、与信・決済を通じて消費者と店舗の仲立ちをするクレジットカード会社も、プラットフォームビジネスの典型的な形態だ。だが、そこにはただプレーヤーどうしを引き合わせるだけではない、プラットフォームの存在価値やメリットがなければならない。

 プラットフォームがプラットフォームたるゆえんは、そこにバイラル効果ーーー参加者間の相互作用がもたらす場の拡大ーーーが生まれ、プレーヤーの情報が集まる点だ。

 まず定義に立ち戻って説明しよう。

 プラットフォームビジネスとは、「複数のグループのニーズを仲介することでグループ間の相互作用を喚起し、その市場経済圏を作る産業基盤型のビジネスモデル」だということができる。これをもう少し具体的にいうと、

1.2つ以上のグループを結びつける
2.あるグループは他のグループを必要としている
3.グループ単独では得られない価値を創出している
4. グループ間の相互作用に外部ネットワーク効果(いわゆる口コミ)を創出し、新しい価値を創造するしくみを担っている

 となる。プラットフォームという存在は、まさに食物連鎖と相互依存の動的なバランスのもとに成り立つエコシステム(生態系)と非常に似通った存在であることが分かるだろう。同時にこれはプレーヤー間のアライアンスによる化学反応を引き起こし、そこに新たな価値を生み出すゆりかごでもある。これらはプラットフォームビジネスの定義であると同時に、プラットフォームの成長の要件となっている。そしてプラットフォーマー(プラットフォームの運営者)にはあらゆるマーケティング情報が集積されていくのだ。

2 1世紀の億万長者を生み出すプラットフォーマーとは何者か

 旧来のプラットフォームは資本力や歴史やブランド力のような有形・無形の資産の上に成り立ち、それらの資産が参加者を集める吸引力ともなっていた。

 分かりやすい例では、鉄道会社が郊外に土地を買い、線路を敷き駅を作って住宅地を造成する、という事業がプラットフォーム的である。スーパーや学校や病院ができ、その町が魅力的となってくれば次第に人口は増え、そこで消費されるお金は鉄道会社の関連会社を通過していく。

 プラットフォーマーはビジネスの鍵となる情報をいち早く握ることができるから、誰もがプラットフォームの覇権を握り、プレーヤーを囲い込もうと躍起になったが、それを可能にするだけの資本や資産を持つ者は限られていた。

 しかしIT時代に事情は一変する。IT時代のプラットフォームは、まずアイデアこそが勝負の分かれ目となる。銀座四丁目交差点といえば、日本一のにぎわいとステータスを持つ一等地の中の一等地であり、そこに店を出すということは容易ではない。しかしインターネットの世界なら、アイデアが支持されれば、いくらでも人の流れを呼び込むことができる。通信コストやサーバーコストが劇的に下がったことで、自分が作ったプラットフォームを銀座四丁目に「する」ことができるようになったわけだ。これがIT時代のプラットフォームの特徴的な部分であり、プラットフォーム戦略の重要性が増している理由のひとつだろう。

 さらに言えば、デジタルコンバージェンス(混合)が加速していることもここに深く関わっている。家電やPC業界、ゲーム業界でプラットフォームといえば、特定のハードウェアやアーキテクチャのことを指す言葉だ。鉄道会社が土地を造成し鉄道を敷設するのと同様、従来は莫大な資本がなければ新たなプラットフォームを作り出すことはできなかった。しかしデジタル技術は、テレビ番組を見るのに必ずしもテレビは必要でないし、ゲームを楽しむのにゲーム機がいるわけでもない。音楽を聴くのも特定のハードウェアに依存することがなくなったおかげで、プラットフォームを作るための敷居は劇的に低くなった。実際多くの若い起業家たちはプラットフォームビジネスで億万長者になっているのが証拠だ。

 ITは二重の意味で、誰もがプラットフォーマーになれる可能性をもたらしてくれたのだ。

なぜ日本発グローバルなプラットフォームが育たないのか

 先頃、ある政府関係機関に呼ばれ「日本をどう守るか」というテーマで話をさせてもらう機会があった。最初に「日の丸を掲げた時点で負けであろう」との結論を述べたら、不快な顔をされたが、現実に日本発のグローバルなプラットフォームが誕生していないのは事実だ。日本にこだわっているようではダメなのではないだろうか。「はじめからグローバル」の発想こそが必要なのである。

 ではなぜ日本でプラットフォームが育たないのか。細かな法令や規制が壁になっているという見方もあるが、それだけではないと私は考えている。法による規制はどこの地域にだってある。「規制そのものではなく、その運用があいまいなのが困る」との声を聞き、さもありなんと感じた。

 グーグルのストリートビューをひとつのケースとして考えてみよう。ストリートビューのようなサービスが欲しいかと聞かれれば誰もがYESと答えるだろう。しかしそこに自分の家が映っていてもよいかと聞かれればNOと答える人がほとんどに違いない。問題は利便性とプライバシーのさじ加減だ。その線をどこに引くかは、やる前からあれこれ考えていても決めようがないこと。日本でこの種のサービスを立ち上げようとした場合には、事前に考えられるすべての障害やトラブルを想定し、それをクリアする方法を用意し、満を持して完成披露式典を開く。そんなところだろうか。

 日本ではキズがない形で新たなサービスをスタートさせようと考えるが、アメリカは違う。完成度はともかく、まずベータ版でもいいからサービスをスタートさせ、反響と反応を見ながら絶えずそのバランスを調整していく。ビジネス用語でいうところのPDCAサイクルだ。プラン・ドゥー・チェック・アクションのサイクルを絶えず繰り返すことがサービスのクオリティを高め、世の中に浸透させていく。たとえトラブルが生じ、それが発展して訴訟沙汰になったとしても、それはそれ。訴訟なんて日常である。ユーザーが求めているものは何かという軸はブラさず、スピード感をもってそれのサイクルをやりきってしまうところがアメリカの強さだと言ってもいい。

 いっぽう日本はどうか。役所の解釈があいまいで返答に時間がかかるようでは、PDCAのサイクルを回すどころではない。規制や制限があったとしても、それが明確なものであれば、回避する方策を考えればいいだけの話だが、昨日まで黙認されていたり判断保留であったことが、世間の風向きいかんでYESにもNOにもなってしまうような状況は、大きな機会損失を招く。それが見えてしまうからチャレンジもしない。

 ユーザーのニーズを汲んできめ細かなサービスを作っていく力が日本に足りないとは思わない。むしろ逆だろう。しかしなぜ、その日本からプラットフォームが生まれないかといえば、このような法運用のあいまいな状況が、新しいことを始めにくい環境につながっている。これが日本の活力を削いでいる大きな要因のひとつではないかと危惧している。

プラットフォームビジネスは事業部制になじまない

 もうひとつ、日本からプラットフォームが生まれない別の要因は、日本の組織の形態にあると私は考える。もっと具体的に言うと、事業部ごとの独立採算制が、プラットフォームの成長を阻害していると思っている。ビジネスの成功の鍵はリスクをともなう戦略をとれるかどうかにかかっている。プラットフォームビジネスでも事情は全く同様だ。

 インターネット・ショッピングモール最大手の楽天がこの業界に参入した時期は、すでに大手の参入や撤退が一巡した後だった。「ネットのショッピングモールは絶対に成功しない」という常識まで生まれていたが、楽天の三木谷社長はそこでひるまなかった。「流行らない問題は何か。どこに不満があるか。ユーザーはなぜインターネットで買わないか」を徹底的に分析し、消費者にとっては品揃えが少ないこと、出店者にとっては、商品を展示するシステムの使い勝手が悪いことが、大きな要因のひとつであろうと考えた。そこで出店者を増やし、品数を増やすため月5万円という格安の出店料金を設定し、展示・決済システムを整備していった。絶えざる改善とユーザビリティの向上がプラットフォームの価値向上につながることもよく分かっていたのだ。

 店舗数と品数、店舗への教育、そしてショッピングモールにとってもっとも重要な要素であるユーザーからの支持を集め、口コミ・バイラル効果で一気に知名度を高めた。「魚市場なら築地」と同様な形で「インターネットで買うなら楽天」として認知されることは、すなわち検索されるコストを低くすることでもある。消費者からも出店者からも楽天は第一選択となり、日本におけるショッピングモールの顔となっていったのだ。

 そしてこの「月5万円」の決断は、独立採算をとる事業部制にはなじまない。ものを作って売るメーカーの発想とプラットフォーム戦略発想のいちばんの違いは、コストを積み上げて価格を決めるのかどうかという点にある。

 プラットフォームの普及を促すには、プレーヤーが参加するときの敷居は低ければ低いほどいい。当面の利益はガマンして、将来の市場拡大とそこから得られる利益に期待し、戦略的な価格設定ができるかどうか。これはいち事業部での判断にはなじまない事項だろう。そもそも企業の「一部分」にしかすぎないため、そこでの最適も部分最適でしかない。その総和が全体最適になるかといえば、ときにはマイナスになることもあり得る。

 国内で成功しているプラットフォームが、それを率いるリーダーの顔が見える存在であることは、偶然ではない。全体最適を考え、短期の利益をガマンしてでも将来に賭けるトップの判断がなければプラットフォームは成長しないのだ。

プラットフォームは「横暴」なのか

 参加するプレーヤーにとってメリットがあり、プレーヤー間の口コミで自然増殖していくよう、プラットフォームを育てていく上で肝要なのは、「プラットフォームを統治する」こと。これは別の言い方をすれば「ルールと規範を作り、クオリティをコントロールすること」でもある。

 ゲーム史上に残る失敗例が、コンピュータゲームの祖として知られるアタリ社だ。テニスゲームやブロック崩しなどで一世を風靡したものの、ソフト製作会社の乱立による価格暴落と、粗悪なゲームが大量に出回ることによるユーザー離れで一瞬にして市場から消えてしまった。

 かたやアップル社によるiTune Storeは歴史に残る成功例だろう。長年培ってきたクイックタイムというマルチメディア技術を生かし、著作権保護機構の柔軟な運用を行って他の楽曲流通プラットフォームとの差別化を図った。さらに自社製のソフトウェア(iTunes)や自社製の音楽プレーヤー(iPod)などで相乗効果を狙い、質の高いエコシステムを作りあげ、市場を制した。

 アップル社はこのプラットフォームにアプリケーションソフトやドラマ・映画などの映像コンテンツも載せていこうとしている。執拗な検閲が一部問題となり、ときにプレーヤーの目に「横暴」と映ることがあるが、それもまた「統治」の一側面であると言えるだろう。しかしそれが最終的にプレーヤーのためになっていない、プラットフォームとしての存在価値を損なうようなものであれば、歴史が証明するようにあっという間に淘汰されてしまうことだろう。

プラットフォームとどう付き合うか

 
 参加するメリットは疑いないとしても、ときに横暴とも映るプラットフォームとどう付き合うかは、プレーヤーにとって大きな問題だ。

 もし自社が力のあるプレーヤーならば、複数のプラットフォームに乗る、乗るから対価を求める、宣伝費用を肩代わりさせる……。プラットフォームに対しての要求を通すこともできるかもしれない。プラットフォームに対する影響力いかんで、ただ乗るだけではなく、関わり方が変わってくる。

 加えて、プラットフォームの戦略を読み、それに自分たちの戦略がどの程度合致するかを判断し、関わり方を決めていくことも重要だ。

 また、5年後、10年後にもそのプラットフォームが現在のようなプレゼンスを維持しているかどうかは定かではない。プラットフォームにも栄枯盛衰があることを念頭に置きながら、どの程度までコミットするかの判断が求められる。これは企業だけではなく個人にとっても重要なことだろう。

ルールを決めるのは誰なのか

 
 マーケティングの世界では、企業からユーザーにその権力が移りつつあるという。しかし、やはりプラットフォームビジネスにおいて、ルールを決める力を持つプラットフォーマーが強者であることは疑いない。

 デジタルコンバージェンスはプラットフォームへの参入の敷居を低くしたが、それ以上にあらゆるコンテンツがデジタル化され混合することで、従来はハードウェア(デバイス)に基づいて構成されていた業界が意味を成さなくなった。

 映像コンテンツの敵は別の映像コンテンツではなくゲームであり、ゲームの敵はソーシャルネットワーキングサービスであったりする。ユーザーの24時間を奪い合うプラットフォームどうしの熾烈な争いが業界の枠を超えて始まり、デバイスフリーな形での産業や業界の再構成も止まらない流れとなっている。競争戦略でいう「競合」とは誰なのか?は瞬間的に変化していることに気づく必要がある。

 いちプレーヤーとしてその奔流に流されるだけでは、未来に展望が抱けるはずがない。

では、日本はどうなるのか?

普通に考えれば、グローバルなプラットフォームをめざす企業は日本を出て行くことになる。新たな試みに挑戦し、エラーから学び、プラットフォームそのものを進化させていくサイクルを回すには、日本社会はあまり良い場所ではないだろう。しかしあらためて日本と日本のマーケットを見てみると、大きな力を持っている分野がある。

 ゲームコンテンツやマンガ、あるいはサブカルチャーコンテンツをまず挙げることができる。世界的に見ても競争力を持つ分野だ。さらに自動車やハイテク機器、モバイル機器などもプラットフォーム戦略思考によって全く新しいビジネスモデルに産業全体を変えることもできる点に気づく必要がある。たとえば電気自動車は家電量販店で販売されたり、コピー機のように廉価なリースで届けられ、充電サービスや保険や付随サービスで儲けるような産業に生まれ変わる可能性すらあるだろう。

 事業部制のしばりや業界のくびきを超え、こうした強みを生かす戦略が立てられれば、日本発のグローバルなプラットフォームが生まれる素地は十分にあると考えている。

 そして何より、日本の最大の資産はヒトだ。

 ネットワークリテラシーやメディアリテラシーが高く、単に商品やサービスを消費するだけのコンシューマーではなく、消費行動にリンクした情報発信を通じて企業の戦略にまで大きな影響力を持つプロシューマーも誕生している。

 プラットフォームを統治するのはプラットフォーマーだとしても、その価値を計り栄枯盛衰を左右するのはユーザーに違いない。ユーザーの声を聞き、ユーザーの力を借りることが必要だ。

 今こそ、あらゆる産業の経営者はプラットフォーム戦略を学び、ベンチャー精神を持ちリスクを恐れずに「はじめから世界をめざすプラットフォームを作れ!」。これが日本再生の結論だと私は考えている。

(構成・文/喜多充成)

*「プラットフォーム戦略(R)は(株)ネットストラテジーの登録商標です。」
*著者プロフィール:平野敦士カール
ビジネス・ブレークスルー大学教授(学長大前研一)、早稲田大学ビジネススクール(MBA)非常勤講師、㈳プラットフォーム戦略協会理事長、(株)ネットストラテジー代表取締役社長(平成25年3月現在)

※『IT批評 1号 特集:プラットフォームへの意思』(2010年12月刊行)より平野敦士カールさんの「プラットフォーム戦略の本質」を転載
『IT批評』
http://shinjindo.jp/contents/it.html [リンク]

『IT批評 1号 特集:プラットフォームへの意思』


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