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ラモス瑠偉氏「妻の死を乗り越えるつもりはない」

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2月26日、ビーチサッカー日本代表監督のラモス瑠偉氏が、日本テレビ系バラエティ番組「解決!ナイナイアンサー3時間スペシャル」で、一昨年の7月に28年連れ添った妻・初音さんを突然の病気で失ったことについて、テレビで初めて語った。

ラモス氏が妻の死について語ったのは同番組の「話題のカウンセラー、心屋仁之助の出張お悩みアンサー」というコーナーでのこと。ラモス氏の自宅でのインタビューを交え、初音さんとの出会い、結婚、そして初音さんが肝がんで入院し亡くなるまでの10日間を再現ドラマとして放映した。

1980年10月、当時、読売クラブの所属選手だった23歳のラモス氏と、21才の初音さんの出会いは、友人からの紹介がきっかけだったという。ラモス氏はその時の様子を「胸がドキドキして、足が震えましたね」と一目惚れだったと明かしている。その後、ラモス氏は初音さんへ猛アプローチを行い、2人の交際はスタートした。

2年後、ラモス氏は交通事故で左足のすねを複雑骨折し入院、選手生命の危機に直面するが、初音さんは毎日朝4時半に起床、夜9時半まで献身的な看病を行った。途中ラモス氏は不安から暴言を吐くこともあったが、初音さんは笑顔で支えたのだとか。その後、結婚した時にラモス氏は「あの事故の時に初音ちゃんは僕を笑顔で守ってくれた、だから今度は、どんなことがあっても初音ちゃんを笑顔で守る」と誓ったという。

結婚後も、ラモス氏を陰から見守るように支え続けた初音さんだったが、ある日突然の病に倒れることになる。ラモス氏がビーチサッカー日本代表監督として中国遠征から帰ってきて6日後、初音さんは脇腹に激痛を訴えて緊急入院、担当医からラモス氏に告げられた初音さんの診断結果は転移性肝ガンで、「おそらく持って1ヶ月」という残酷なものだった。

茫然自失のラモス氏だったが、初音さんには「出血がしばらく収まらないから、入院だって」と伝え、ガンの告知は一切せずに看取ることを決断した。ラモス氏は、かつて初音さんが行ったように、笑顔で献身的な看病を行ったが、病室の一歩外では人知れず涙を流していたという。

2011年7月17日、病室でなでしこジャパンがW杯で優勝する様子を初音さんと見ていたラモス氏に「次はあなたの番ね。私退院したら、イタリアに応援に行くわ」と、8月に控えていた、ビーチサッカーのイタリアでのワールドカップに行くと言う初音さん。「わかった、約束するよ」と答えるラモス氏だったが、その後初音さんの病状はさらに悪化、入院からわずか10日で亡くなることとなり、約束が果たされることはなかった。

インタビューでラモス氏は「あそこまで愛した人を…たぶん乗り越えられないと思います。別に乗り越えようとも思ってないから」「再婚なんてしない。同じ墓に入る。生まれ変わっても彼女と結婚する。」「今でも、時々子供のように恥ずかしく泣くことがある。朝起きた時が一番悲しい。ベッドでも彼女の枕を抱いて寝ている。」と答えており、いまだに亡くなった初音さんに対する想いは消えないようだ。

最後に、ラモス氏は「この状態を10年、15年続けるかどうかはわかりませんが、(初音さんは)一生胸の中に生きている」と笑顔で語り、締めくくっている。

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(http://news.livedoor.com/article/detail/7465822/)
※表示 – 改変禁止 2.1 日本 (CC BY-ND 2.1)

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