『千日の瑠璃』483日目——私は寒波だ。(丸山健二小説連載)

access_time create folderエンタメ

 

私は寒波だ。

寺を追われて行き場を失い、さりとてまほろ町の外へも出て行くことができない僧を、更に痛めつける寒波だ。私に追い回されて彼は右往左往し、体が冷えないようひたすら歩き、飢えないようのべつ托鉢をつづける。とても世俗を超脱して悟りを開くどころの騒ぎではない。彼は未だに塒を確保していないのだ。雪洞を掘って潜りこんではみたものの、山男から聞かされたほど暖かくはなく、貸しボートがしまってある小屋で三晩過したが、隙間風やうたかた湖の氷があげる悲鳴で一睡もできなかった。また、あまびこ神社の社殿の下にも潜りこんでみたが、やはり私から逃げ切ることはできなかった。

私は「出て行け」と彼に言った。まほろ町を出てやり直せ、と言い、さもなければ命を取る、と脅した。だが、彼はとどまった。どうあってもうたかた湖の傍を離れたくなかったのだろう。人の呼吸と似た間を保って昇る泡は、氷の下で途切れることなくつづいていた。そんなものはただの水泡にすぎないと言う私に、彼は怨みがましい眼を向け、氷が融け、水がぬるむ陽春の到来を願って仏に縋った。しかし私は、冬を冬らしくさせ、ほかの季節と一線を画するために、人々に悠々閑々としては生きられないことを教えるために、しばらく居坐ることにした。すると若い僧は、丘の麓にある自転車の小屋へ隠れた。だが、夕方になって家人に見つかり、叩き出された。
(1・26・金)

丸山健二×ガジェット通信

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 『千日の瑠璃』483日目——私は寒波だ。(丸山健二小説連載)
access_time create folderエンタメ
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。