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『千日の瑠璃』480日目——私は油だ。(丸山健二小説連載)

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私は油だ。

《三光鳥》寄りのうたかた湖の水面を覆ってさざ波をぴたっと抑え、虹色にぎらつく、多量の油だ。私は強い季節風に吹かれてみるみる広がり、死魔となって逃げ遅れたウグイやワカサギの命を数分のうちに奪う。そして、ここの水を信じて渡ってきた水禽を普段は見向きもしない西の岸へと追いやり、ようやく気づいた住民たちの怨嗟の的となる。

大いに憤慨した貸しボート屋のおやじは、「世も末だな」と幾度も呟き、私をぶちまけたトラックがクレーンによって吊り上げられる様子を見物しながら、死に恥を晒した運転手をひと目見ようと眼鏡を掛ける。だが、死体などはない。警察の連中から事情を説明され、ただの事故ではないことがわかると、おやじの怒りは更に募り、土手の上でぼんやりとしていた《三光鳥》の女将に、こう怒鳴る。「みんなあんたのせいだぞ!」と言い、「あんな人間の滓どもとつるんだせいだ!」と言い、また、「あんたのおふくろさんが生きていたらこんなことにはならなかったのに」と嘆く。

女将は、相手に言いたいだけ言わせておいてから、自分はもはや何が起きても動じないし、如何なる運命も受け入れる、といった意味の言葉を吐き、傍らに立っていた悲劇的な少年の肩に回している手にぐっと力をこめる。私は風下へ流され、開け放たれた水門を通って川へと向い、それから人々に安堵と不吉な予感を残して、何処へともなく去って行く。
(1・23・火)

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