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『千日の瑠璃』463日目——私は露だ。(丸山健二小説連載)

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私は露だ。

白一色の屋外を占める寒気と電灯の色に染まった屋内の暖気とが鬩ぎ合って、窓ガラスに結ぶ露だ。養生という名のもとに体よく親元を追い払われ、湖畔の別荘で独り暮らしをつづけている狂女は、とりとめもない顔を窓に近づけ、闘犬のように渦をまいた瞳を私に向ける。そして彼女は、私を通して世間を眺め、歪みに歪んだうたかた湖の寒々とした光景を、幼かりし頃に列車で通過しただけなのになぜか胸に焼き付いてしまった河港の町に見立てて、いつまでも楽しむ。

このところ彼女の精神は極めて安定しており、ちっぽけな星が流れただけで気が転倒するようなことはまったくない。むしろ正常な範疇におさまっている人々の心よりも乱れは少ないのだ。富貴な家に生まれついたことを必要以上にありがたく思ったり、わが身の薄命を悟って涙したり、突き詰めて人生を考えたりすることはない。ここまで正気に立ち返ることができた彼女は、やがて親族の誇りと面子に疵をつけないようこんな片田舎へ厄介払いされた己れの立場に気づき、却って病は深刻なものになりはしないだろうか。

彼女は人差し指の腹で私をそっと撫で、音でも訓でも読める唯一の漢字、彼女の名前にも使われている《光》という字を書く。その文字のなかを、雅な舞いを演じる白鳥と、現し世の規矩準縄を定める何者かの気配と、青いコートと白いマフラーの少年が過って行く。
(1・6 ・土)

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