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『千日の瑠璃』461日目——私は神社だ。(丸山健二小説連載)

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私は神社だ。

ほどよい形に反り返った社殿の屋根の立派さと杉の森の深さ、ほかには自慢するものがない、あまびこという名の神社だ。今、先祖代々の役目を引き継いで私を守り、私で以て口過ぎをしてきた親子が、朱色の傘をさし、白い袴をつけ、高下駄を履いて、降りしきる雪のなかを歩いて行く。品のいい身のこなしの年配の男は、まほろ町では廉潔の士として少しは知られた、神宮だ。そして彼に付き従うもうひとりの若い男は、神道に対する言い古された話を斥けられるほどの急進的な考えを持ち、そのうえ大胆極まりない新説を提唱することも可能な、神仏の加護を決して求めない、独り息子だ。しかし、両者のあいだに確執はなく、互いに相手の意図を曲解することもなく、これまで通りの好ましい関係がきっちりと保たれている。

父親は幾つになっても率直に己れの非を認めることができ、息子は若さに任せて理屈に合わないことを言い立てて恬然としているような、そんな破廉恥な輩ではない。だが、あの少年を巡ってのふたりの意見は、いつも分かれてしまう。一体どんな意味合いがあるのか知る由もないが、年に何回か手回しドリルを持って私を訪れ、私の象徴である、木精が宿っている杉に穴をあける、あの少年についての父親の見解は、「神はあの子を哀れんで救いたがっている」であり、それに対する息子の意見は、「あの子によって神のほうが救われている」だ。私としては何とも言い兼ねる。
(1・4・木)

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