『千日の瑠璃』452日目——私は感傷だ。(丸山健二小説連載)

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私は感傷だ。

南下の一途を辿る寒気団から吹き出す風を引き連れた物乞いといっしょに、他人の家の戸口に佇む、ありきたりな感傷だ。人生を達観して天衣無縫に生きる、いや、そうありたいと願っている髭面の物乞いは、しつこい私を追い払うために丘の道を登って行った。反骨の精神に富み、人から頼られる剛腹な男を気取って、彼は反り身になって歩いた。

ところが、胸を張り過ぎたのと、太り過ぎと、運動不足と、寄る年波のせいで、仰向けに倒れてしまった。物乞いはそんな自分を笑い飛ばすことで私を振り払おうとしたがうまくゆかず、結果はむしろ前よりもわるくなった。すかさず私は図星を指した。要するにおまえはいつまでも居直れない落伍者ではないか、それだけの男ではないか、と言った。

効果は覿面だった。もたもたした動作で起きあがろうとする物乞いの脳裏を、今は亡き肉親や忘れ難き故旧が掠め、汗みずくになってはたらいた遠いむかしが生々しく過り、「おまえはいい子だ」と言ってくれた外戚の祖父の笑顔が甦った。どうにか丘を登り切った彼は、そこに頼りなく建っている家に助けを求めた。しかし折あしく留守で、彼に救いの手を差し伸べ、私を追い払ってくれそうな者はいなかった。二階の窓辺に置かれた籠のなかの青い鳥ですら、沈黙を守っていた。それでも彼は戸をどんどん叩きつづけた。そして私の重圧に堪え兼ね、その場にへたりこみ、泣いた。
(12・26・火)

丸山健二×ガジェット通信

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