『千日の瑠璃』434日目——私は噴水だ。(丸山健二小説連載)

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私は噴水だ。

草木が萌え出る次の季節が訪れるまでのあいだ、人々があまり、水を見たがらない季節のあいだ、ひと休みする噴水だ。水の元栓をがっちりと締められてしまったきょう、去年と同様、私はしばし放心状態に陥った。己れの値打ちがぐっと下がってしまったような、役目を果たし終えたような、わが身の不運を嘆じたいような、そんな気分になった。

現に、この公園内で細やかな生息を保ちつづける小動物が途端に寄りつかなくなった。あるいは、残された短い時間の一秒一秒を美しい物とだけ触れ合って、心穏やかに過そうとする年寄りたちの姿もめっきり減った。あるいはまた、勢いよく噴く水の音と落下する水の音に紛れて思いの丈を打ち明け合う若い男女も、場所をほかへ移してしまった。春から秋にかけて、私があれほど蘊蓄を傾けて生き物たちに話してやった哲学と思想は、下水道に通じる穴へ吸いこまれて、それきりとなった。

かくして私は、コンクリートと岩の寄せ集めに成り下がり、落ち葉や退廃などが吹き溜るところとなり、撤去を迫られている廃墟に等しい物と化した。それも例年通りの成り行きだった。やがて、隅々まで乾きあがる頃には、私はすっかり落着きを取り戻していた。少年世一が夜を引き連れて私を訪ねた。世一は、さながら旧遊の地を訪れた感慨に耽る老人のような眼ざしで、私をじっと見つめた。私は闇にさえずる少年をそっと抱きしめた。
(12・8・金)

丸山健二×ガジェット通信

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