「差別される人々」はいつ生まれたのか(歴史作家 関裕二)

access_time create folderガジェ通
e382b9e382afe383aae383bce383b3e382b7e383a7e38383e38388-2012-12-26-164214

※この記事は国際情報サイト『Foresight』より転載させていただいたものです。 http://www.fsight.jp[リンク]

「差別」について、考えてみたい。
 差別される人々が、いつ、どこで、なぜ生まれたのか、はっきりしたことは分かっていない。ひとつ分かっているのは、中世の段階で私的隷属を嫌った人々が、天皇と深く結びついていたということ、そして、何者にも支配されず自由に暮らす彼らが、被差別民になっていったという事実である。

孝謙女帝の「奴隷解放」

 各地を遍歴し漂泊する勧進、芸能民、遊女(うかれめ)、鋳物師(いもじ)、木地屋、薬売りなどの商人、工人、職人などの非農耕民は、「捕らえ所がなく、税の徴収が難しい」ことから、普通の農民(良民)たちとは区別されるようになっていった。

 遍歴する人々=被差別民の多くは、供御人(くごにん)の流れを汲んでいると信じられていた。「供御」とは、「天皇の食事」のことで、天皇家に供御を献上したり、奉仕をする人たちが供御人だ。供御人は見返りに、通行の自由、税や諸役の免除、私的隷属からの解放という特権を天皇から獲得していたのである。

 ではなぜ、頂点の天皇と最下層の差別される人々が、結びついたのだろう。

 具体的なきっかけがあったのではないか……。それが、天平宝字2年(758)7月3日のことだったと、筆者は睨んでいる。平城京(奈良市)に都が置かれた時代のことだ。

 この日、孝謙女帝は「思うところがあって」と勅(みことのり)を発し、朝廷が管轄する奴婢(ぬひ)を良民にすると、宣言したのだ。「奴婢」とは、古墳時代から飛鳥時代にかけて存在した賤民をさす。物のように扱われ、売買もされたようだ。だから、孝謙女帝の勅は、日本版奴隷解放といったところか。

 孝謙女帝の父母・聖武天皇と光明子も、貧しい者たちに温かい手をさしのべていたから、この勅は、親子が目指した理想とみなすことができる。こののち、各地の奴婢も、次第に良民に組み込まれていくようになり、奴婢は消滅するのだ。ただし、ここから、新たな被差別民が生まれていくことになる。
【関連記事】古来、人はどう裁かれてきたか

優婆塞と手を組んだ聖武天皇

 ではこの先、誰が差別されていくのだろう。

 皮肉なことに、貧しい人々を救済しようとした聖武天皇と孝謙女帝が、今日につづく被差別民を生み落としたようなのだ。それが、優婆塞(うばそく)である。

 優婆塞とは、「律令の枠組みからはずれていった人たち」だった。律令制度が整い戸籍が作られると、人々は土地に縛られるようになった。国から与えられた農地を耕し、一定の税を納め、労役や兵役に駆り出されたのだ。ところが、土地を離れ、放浪し、公役から逃れようとする者が現れた。勝手に僧(私度僧、優婆塞、乞食坊主)になって、都周辺にたむろするようにもなった。重税もさることながら、税を直接都まで運ぶという作業に耐えられなかったようだ。行き倒れになる人も続出した。借金がかさんで、夜逃げした人々も多かった。干魃や天変地異に苦しめられた時代だから、彼らを責めることは、酷である。

 奈良時代には、数千人から1万人にのぼる優婆塞が、平城京の東の山にたむろし、気勢をあげていたという。これを放置しておけば、国家の基盤が危うくなる。だから、朝廷は彼らを非難し、弾圧したのである。

 ところが聖武天皇は、あろうことか、優婆塞たちと手を組んでしまうのだ。優婆塞のリーダーである行基を、大僧正(仏教界の最高位)に大抜擢している。東大寺建立が成し遂げられたのは、行基や優婆塞の協力による。聖武天皇は、優婆塞や行基を優遇し、特別扱いしたのだ。

 目的は弱者救済だけではない。独裁権力を獲得しつつあった藤原氏に対抗するためだ。「天皇を傀儡にして天皇の権威を悪用する藤原氏」を、聖武天皇はとことん嫌い、優婆塞の力を活用しようと考えたのである。

被差別民の多くは「藤原氏の敵」

 聖武天皇と俗権力(藤原氏)の葛藤が、天皇と底辺の人々を結びつけたのだ。ところが、これが、被差別民の歴史の発端となった。それはなぜかといえば、聖武天皇が藤原氏との間の政争に敗れ零落したこと、こののち藤原氏が絶大な権力を握り、千年にわたって朝堂を支配していくからだ。被差別民の根源を溯っていくと、多くが「藤原氏の敵」であったことに気付かされる。

 くり返すが、聖武天皇は、藤原氏と対立していた。藤原氏の圧力をはね返すために、最下層の人々と手を組んだのだ。

 一方、藤原氏は他者との共存を望まず、政敵を次から次へと陰謀にはめ葬り去っていった。そして、敗れ零落した者を、容赦なく蔑視していった。こうして、差別される人の原型が出来上がっていったのだ。また、差別される人たちが「権力に屈せず」「天皇の権威にすがっていった」理由も、はっきりと分かってくる。

 最下層の人々だけではない。古代を代表する渡来系豪族・秦氏も、藤原氏に嫌われ、差別されていく。それはなぜかといえば、秦氏が新羅系渡来人だったからだ。親百済派(筆者は百済系渡来人とみる)の藤原氏は、秦氏を利用するだけ利用したあと、潰しにかかっていたのだ(『古事記の禁忌 天皇の正体』新潮文庫近刊)。

 このように、中世、近世にかけて差別されていく人々のルーツを辿っていくと、古代の政争まで行き着いてしまう。差別問題と権力闘争は、切っても切り離せないものなのである。

歴史作家 関裕二氏の解説記事をもっと読みたい方はこちらの記事一覧へ(ニュース解説サイト『Foresight』)

関裕二 Yuji Seki
歴史作家

1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』(以上、新潮文庫)、『伊勢神宮の暗号』(講談社)、『天皇名の暗号』(芸文社)など著書多数。

※この記事は国際情報サイト『Foresight』より転載させていただいたものです。 http://www.fsight.jp[リンク]

  1. HOME
  2. ガジェ通
  3. 「差別される人々」はいつ生まれたのか(歴史作家 関裕二)
access_time create folderガジェ通
local_offer

Foresight

フォーサイトとは:ニュースをより深く「わかる」ために必要な記事を毎日配信している会員制サイトです。政治、国際問題を中心に、執筆者には信頼度の高い専門家を揃え、日本人には肌で理解しづらい文化を持つ中東やアフリカの情報等も網羅しています。「読者フォーラム」では、読者の皆さんによる意見交換が活発におこなわれています。

ウェブサイト: http://www.fsight.jp/

TwitterID: Fsight

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。