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『千日の瑠璃』424日目——私は沈黙だ。(丸山健二小説連載)

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私は沈黙だ。

黄葉が終った銀杏の木の下で咲き残った菊を眺める、老人ホームに身を寄せるしかない人々の、沈黙だ。老身に応える冷たい風と、孤なる魂に応える蕭殺たる気を避けようとして、かれらはいつしか円陣を作っている。しかしかれらには、銀河の中心にかたまっている老いた星々のような輝きは見られない。頭上の銀杏はかれらの拈くれた思考を停止させ、足元に散らばっている菊の花びらは人を貶める言い方や片恨みを控えさせている。

そして私はさらさらという葉擦れの音やかさこそという落ち葉の音を受け入れ、苦しみが世の習いだとする老人たちに、無能無才に終ることの偉大さを受け入れさせるのだ。元皇軍兵士だった恥知らずな生還者も、凄じい食欲のせいで無一物になった頗る付きの健啖家も、未だに自責の念に駆られている転向者も、古い議論を蒸し返しては楽しむ口舌の徒も、酔余の戯れに折り折りの歌を詠む者も、押しも押されもせぬ堂々たる徳望家も、持ち味を活かし切れなかった人生の優等生も、皆いつ死んでも心残りがない者に仕上がっている。

もはやかれらの前途に横たわる難題はひとつとしてない。すでにかれらには、歴々たる自負も、旗幟鮮明な主張も、明晰な頭脳も、不変の真理も必要ないのだ。そんなかれらの背後を、色は寒色でも暖かいセーターを着た、肉体に障害を持つ少年が、足音を立てずに通り過ぎて行く。世もまた坦々と過ぎて行く。
(11・28・火)

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