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『千日の瑠璃』406日目——私はシタールだ。(丸山健二小説連載)

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私はシタールだ。

大きな南瓜、軽くて腐りにくいチーク材、少々の真鍮、それにインドのめくるめく伝統を組合せて造られた、シタールだ。残念ながらまほろ町へきてからの私は、まだ一度も演奏されていない。金の使い方を知らない歯科医は、私を楽器としてではなく、民族工芸品として手に入れたのだ。つまり、ここでの私はちょっと風変りな飾り物でしかない。

歯科医は、自分が下駄の歯を修理する職人と同じではないことを示そうと、もしくは、女狂いのげすな同業者といっしょに見られたくなくて、私を待合室の天井に、あたかもシャンデリアのようにして吊り下げた。しかし、私に興味を示し、しげしげと見つめてくれるのは、中学校の新任の音楽教師ただひとりだった。彼は虫歯をさんざんほじくられた後も変らぬ好意を私に寄せ、しまいには我慢できなくなって私に触れた。ピアノを弾くしなやかな指が主要弦の一本を弾き、共鳴弦を震わせた。治療中の子どもがぴたりと泣きやんだ。受付の女の臀部が性的な震えに覆われた。

息を吹き返した私は、工芸品から楽器に生まれ変った。太っ腹なところを見せたがる歯科医はこう言った。「そんなに気に入ったなら貸してあげますよ」と。音楽教師は喜んで私を下宿先へ持ち帰った。きょう私は、新生児の産声や老人の死に際の世迷言、オオルリのさえずりやそれを上手に真似る少年の口笛、轟然たる雷鳴や軒の雨滴といった響きに合せて、流転する万物を久遠の時の流れに乗せた。
(11・10・金)

丸山健二×ガジェット通信

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