『千日の瑠璃』401日目——私は物置だ。(丸山健二小説連載)

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私は物置だ。

もはや浮き名を流すことなど絶対にない老いた芸者、そんな彼女を閉じこめてしまった物置だ。しかし私のせいではなく、彼女の手落ちだった。どうせすぐ出るというのに、几帳面に戸を閉めるような真似をしたからだ。戸がとんと閉まった拍子に鍵が掛かってしまった。押しても引いてもびくともしなかった。だが、彼女がじたばたしたのは最初の数分間だけで、そのあとは落着きを取り戻し、二時間後にはこれが今生の別れになるやもしれぬと観念し、私にこう呟いた。「おまえが棺桶だと思えばいいわ」と。また、こうも言った。「ここまでよく生きたもんだ」と神色自若として言い、額の、少年世一がオオルリだと言った、小鳥の形の痣を撫で、「おまえがついていてくれるんで気丈夫だよ」と言い、「さあ死のうかね」と言って眼をつむった。

私のなかでぐっすりと眠った彼女は、夜になって眼を醒ました。けれども事態は変らなかった。声を出しても助けはこなかった。やがて彼女は古いアルバムを発見した。高いところの小窓から朧に照らしてくる月明かりを頼りに、彼女はそれを見た。彼女は、その折り折りに世に流伝した装身具を身につけた、妖婦に違いない自分の写真を眺めながら、風俗の変遷を辿って楽しみ、そして、げらげらと笑った。その笑声をちょうどいいところへ来合せた茶呑み友だちが聞きつけた。老いた芸者は、私の戸が開けられてもまだアルバムに見入って笑っていた。
(11・5・日)

丸山健二×ガジェット通信

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