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『千日の瑠璃』333日目——私は見舞いだ。(丸山健二小説連載)

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私は見舞いだ。

ごく控え目だったために、誰にもそれとはわかってもらえなかった、病気の見舞いだ。賢い犬がいっしょだったとはいえ、彼女がたったひとりでそんな遠出をしたのは初めてだった。盲導犬でも何でもないその白い犬は、主である少女の心意気を汲み取り、母親無しで路地の外へ出ることを許した。そして三つの横断歩道を無事に渡らせ、少女が障害物に近づくと吠えて注意を促し、発情した牡犬の蠱惑的な匂いと野犬の挑発を振り切った。

町立病院へ辿り着くまでに、少女は三回道をたずねた。ひとりは残飯漁りに余念がない物乞い、ひとりは自信のない声で話す托鉢中の修行僧、もうひとりはオーデコロンの匂いをぷんぷんさせた長身のやくざ者だった。かれら三人の答え方は寸分変らなかった。「この道を真っすぐだ」とそう言った。道を教えたあとで相手が盲人であることに気づいた三人は、それぞれ己れの立場を離れ、ただの男に戻って、彼女が教えた通りの方へ行くかどうかをしばし見守った。

病室へ着いた少女は、消毒液の臭いが染みついた建物のざらざらしたモルタルの外壁を掌で撫で、それから耳を押しあてた。だが、骨を切断し、肉を切り裂き、血管を繋ぐ大手術の音も、患者たちの絶望の叫び声も聞えなかった。オオルリのさえずりが聞えるばかりだった。少女がそっと呟いた「よいっちゃん」という声を、私は間違いなく病室へ届けた。
(8・29・火)

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