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『千日の瑠璃』332日目——私はカセットテープだ。(丸山健二小説連載)

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私はカセットテープだ。

世一の姉によってオオルリのさえずりを厭というほど吹きこまれた、新品のカセットテープだ。そのあとで私は、彼女が著書名と著者名を暗記するために使っているウォークマンといっしょに、病室へ持ちこまれた。ひと晩中患者に付き添っていた母親の顔には、もう駄目だとはっきり書いてあり、その眼には解き放たれる日が間近いことを確信する、鈍い輝きが見て取れた。彼女は病児を娘に任せ、ひと眠りするために、さもなければ、厄介者が消えたあとの日々を夢想して楽しむために、町中よりも涼しい丘の家へと帰って行った。

姉は私をウォークマンにセットし、イヤホーンを眠っている弟の耳に差しこみ、スイッチを入れた。すると、世一の眼玉が瞼の下でぐるぐる回り出した。私に刻まれた音波が、病人の衰えた体内を素早く、血液よりも速く駆け巡った。ところが、まもなく眼球の動きがおさまり、反応はそれきり跡絶えでしまった。私は慌てて回転をとめた。姉は急いでイヤホーンを引き抜いた。世一は動かなかった。

それから姉は、私にこう弁解した。青い鳥に弟の命を救ってもらおうとしただけで、断じてその逆ではない、と言った。私は黙っていた。そのとき、病人が眼を聞けた。彼は私たちを見た。震えのとまらない人差し指が私を差し示し、そしてもう一方の人差し指が早生種の青い林檎を示した。私はふたたび回転を始め、姉は林機の皮をせっせと剝き始めた。
(8・28・月)

丸山健二×ガジェット通信

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