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『千日の瑠璃』320日目——私は山だ。(丸山健二小説連載)

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私は山だ。

まほろ町とまほろ町ではない町とを自信を持って区切り、そのうえ県境の役目も果たしている、標高三千メートル級の連なる山だ。私は私よりもやや低い、名がついているかどうかも疑わしい山々を従え、巨大な壁をなし、万人の美感に訴えることができるほどの複雑な変化を空間に与え、山国特有の個性が外へ溢れ出さないようにし、あるいは、海の匂いの進出を頑に拒んでいる。海は嫌いだ。

その海の側から、きょう、派手やかないでたちの乱髪の老人が登ってきて、私のてっぺんに立った。そして彼は、水筒に詰めてきた旨酒に陶然と酔いながら、一枚の銀盤と化して大地に貼り付く山上湖を堪能するまで眺め、その水の鏡に飢渇に苦しんだ遠いむかしがくっきりと映っていることに気がついた。すると彼は、「山は狭苦しくていけねえ」と言い残し、ろくに休みもしないで海へ帰った。

しばらくして今度は山の側から、酷くうらぶれた感じの男が、気が滅入る話で塞がった心を解き放っために登ってきた。彼は汗で重くなったシャツを脱いで絞った。彼はともかく、彼の背で踊る緋鯉は、落石の轟音にも怯む気配を見せず、雷雲が接近しても臆病風に吹かれることはなかった。男ははるか彼方に霞む海と、その向うの忘却の彼方に長いこと見入っていた。だがまもなく、「広過ぎていけねえ」と咳いてまほろ町へと引き返した。そのあとで私は、自身のことを高過ぎると評した。
(8・16・水)

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