『千日の瑠璃』270日目——私は亡霊だ。(丸山健二小説連載)

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私は亡霊だ。

見える者にしか見えないというような模糊とした存在では断じてない、世一の祖父の亡霊だ。私は夜ではなくて朝早く、日の出と同時に出現した。そうしたかったからそうしたまでのことで、特にこれといった理由はない。また私自身にも、風のように、もしくは雨のように、さしたる意味はなかった。家族のことが心掛かりになったからでも、丘の上の生活が懐かしくなったからでも、生きている者を仰天させたかったからでもなかった。

私が滑るようにして階段を降りて行くと、皆は居間で朝食をとっていた。生前私が坐っていた場所は、相も変らずの倅の奴が陣取っていた。そして同じ顔触れの四人は、私に気づいて一斉にこっちを見た。茶碗や箸を持つ手がとまった。世一の手さえもぴたりと震えをとめた。驚きのあまり、かれらは声すらあげられなかった。皆元気そうだった。

それから私は、オオルリの声に背中を押されて居間をすっと横切り、玄関まで行くと、戸を開けることなく外へ出た。背後に慌てふためく四人の気配が生じた。私はかれらに構わず光のなかを通り、揺らぎ岩のところまで進み、真下のうたかた湖をまじまじと見つめ、見ているうちに釣りがしたくなり、竿を振る仕種を繰り返した。高々と跳ねる巨鯉が見え、遅れて届いた水音が聞えると、私は戸口に立っている四人の方を振り返り、世一に向って手を振り、崖の下で渦巻く光に溶けて消えた。
(6・27・火)

丸山健二×ガジェット通信

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