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『千日の瑠璃』240日目——私は地力だ。(丸山健二小説連載)

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私は地力だ。

完全に熟成した腐葉土と鶏糞をたっぷり鋤きこまれることで立派に回復した、丘の上の畑の地力だ。ミミズの量は一挙に千倍に増え、土中に含まれる酸素も飽和状態に達しており、水分もほどよく保たれている。種だろうと苗だろうと、何でもござれだ。今の私なら、そのへんの店頭には絶対に並べられない本物の野菜を作ることができるだろう。

ところがどうしたわけか、世一の父はいつまでも種を蒔こうとせず、いつまでも苗を植えつけようとしないのだ。雑草どもがすぐそこまで迫っている。せめてコスモスの種でもいいから蒔いてほしい、と私は思う。しかし彼は、かつてあれほどご執心だった家庭菜園に今は見向きもせず、ほとんど無意義に日を送っている。彼はもう誰のためにも生きていないのかもしれない。家族のためにも、もしかすると彼自身のためにも。

仕事がないきょう、彼は県外の局の番組まで映るテレビの前に寝そべって、ビールを呑んでいる。彼は日毎に老いている。貫くほどの素志も、遂げなくてはならぬ本望も持たなかった男だが、この分だと晩年を失意のうちに送ることになるかもしれない。本当はあらゆる可能性を秘めていた男なのだが、いつしか地方公務員の枠内にちんまりとおさまってしまい、育てることをやめて徒に時をやり過している。今し方私は、こうなったらどこにも負けない雑草を育ててやろう、と決めた。
(5・28・日)

丸山健二×ガジェット通信

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