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『千日の瑠璃』228日目——私は花だ。(丸山健二小説連載)

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私は花だ。

まだ夜が明けやらぬうちに、うたかた湖畔にこっそりと手向けられた、ひと束と数えるには多過ぎる花だ。私は、素焼きの、人間の頭の形に似ている花瓶いっぱいに詰めこまれて、湖の真正面にでんと置かれている。日が昇った。空は青く、水も青く、丘の上から届くオオルリのさえずりはもっと青い。湖岸の散策を日課にしている人々は、すでに私に気づいている。また、そのうちの何人かは、私が古い溺死者のために供えられたものであることを知っている。

しかし、それ以上のことを知る者はいない。私がいつ、どこの誰によってここへ運ばれたのか、その者の悲しみがどれほどなのか、そこまで知っている者はいない。私としても、たとえどんな相手であれ、主の素性を明かすつもりはない。そのとき、食べ物と見間違えた近眼の物乞いが現われ、私が何かわかると金色の光のなかへと姿を消す。ついで、如何にも人格清廉そうな老紳士が、私に黙礼して静かに通り過ぎる。そのあとにやってきた女は、疲れ切った顔を私に向けると、いきなり赤裸々な告白を始める。夫以外の異性、それも妻子持ちの男との関係について。日が更に高くなると、母親に手を引かれ、白い幼犬を連れた盲目の少女が、香りだけで私に気づいてくれる。母親は娘のために私の色について説明する。たぶん少女は理解するだろう。私は生者のための有意義な一日を過すつもりだ。
(5・16・火)

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