『千日の瑠璃』182日目——私は凄味だ。(丸山健二小説連載)

access_time create folderエンタメ

 

私は凄味だ。

めかしこんだ長身のやくざ者が、小説を書くしか能がない男に対して、振り向きざまに放った凄味だ。雨雲が低く垂れこめた午下り、町営駐車場でのことだった。私に射すくめられた相手は、咄嗟に顔を伏せた。それから彼は、急いで黒いむく犬をスクーターに乗せて逃げ出そうとした。だが、行手に立ちはだかった青年は中年男の利き腕をねじあげて、「なんでそうじろじろ見やがる?」と訊いた。相手の周章狼狽を見て取り、犬も咬みつかないとわかると、私はますます嵩にかかった。青年は「なんでおれをつけ回す?」と訊き、そこへ通りかかったふにゃふにゃした体の少年、彼の方へ顎をしゃくり、「あいつのあともつけてんだろうが」と言った。男は作り笑いを浮かべ、自分の仕事が如何に特殊であるかを説明した。だが、詫びたりはしなかった。青年は猛る心を抑えて手を放し、「お互いに因果な商売だなあ」と言った。

小説家は深々と頷き、あの少年が消えた通りの方へスクーターを向けた。しかしいざ走り出そうとすると、青年はまたしても私を放ち、「モデル料を払えなんてけちなことは言わねえが、これだけは断わっておく」と言った。敵なのかそうでない者かを見極める余裕がない場合は、ためらわずに使う、と青年は言ってジャンパーの前をはだけてみせた。人殺しに必須の道具を眼に焼きつけた男は、怖じ気立って早春の光のなかへと駆けこんだ。
(3・31・金)

丸山健二×ガジェット通信

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 『千日の瑠璃』182日目——私は凄味だ。(丸山健二小説連載)
access_time create folderエンタメ
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。