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『千日の瑠璃』174日目——私は高鼾だ。(丸山健二小説連載)

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私は高鼾だ。

うたかた湖畔の空き別荘の窓ガラスをびりびりと震わせる、月の輪熊の大胆不敵な高鼾だ。うっとりした面持ちで私に聴き惚れている少年、知る限り最も自由なその病人は、耳慣れない音の正体にまだ気づいていない。彼は私のことを春そのものの震えと思いこみ、あるいは、土くれや岩石が生きている証しとして受けとめているようだ。少年は逸る心を抑えながら少しずつこっちへ近づき、遂には別荘の板壁に迫り、いじけた形の、子宮にひっかけてこの世へ出ることを逆らった耳を、ぴったりと押しつける。

冬眠から醒めた熊は大木の根元の穴ぐらを抜け出したあと、まずは笹の葉を食べて腹にたまっていた汚物を大量に排世した。それから空腹に尻を叩かれて、危険ではあっても手っ取り早い方法を選んだ。去年漁った生ごみの味を思い出したのだ。しかし、生ごみはどこにもなかった。そこで熊は別荘に押し入り、口を血だらけにして缶詰や壜詰を手当たり次第に食い散らした。満腹になるといい心持ちになり、あれほど眠ったのにまたしても眠くなり、弾丸に潰されていないほうの、人間の善し悪しを見分けられる眼を閉じると、ふたたび熟睡へと落ちたのだ。

窓辺に積まれた薪の上によじ登った少年は、ようやく私の正体を突きとめる。けれども総毛立つことはなく、ちょっとおどけた仕種をしただけで、足音を忍ばせて帰って行く。
(3・23・木)

丸山健二×ガジェット通信

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