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『千日の瑠璃』141日目——私は頭痛だ。(丸山健二小説連載)

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私は頭痛だ。

久方ぶりに大量の本に囲まれた元大学教授を襲う、気にするほどのことはない頭痛だ。まほろ町に住所を移転して以来初めてこの図書館を訪れた彼は、まずその内容の充実ぶりに驚き、「ほほう、田舎にしてはなかなか」と呟きつつ、衒学的な態度を甦らせた。ついで彼は、どことなく影の薄い係の女に利用者がほとんどいないことを聞かされて、なぜかほっと安堵のため息をついた。

引退し、都会のマンションを売り払って山へこもろうと決めたとき、たしか彼は自分にこう誓った。二度と本には手を出すまい、と。これからは他人の言葉を通さないで現実を直視しよう、と。己れの眼で見て、己れの頭で考えよう、と。その誓いを、彼は三年と半年で破った。図書館へきてもまだ本を手に取ったわけではない、と彼は言って窓の外へ眼をやった。これほど多くの本に囲まれたのでは破ったも同然だ、と私は言ってやり、また、「元の木阿弥になるぞ」と警告した。

それでも彼は席を立とうとせず、私の厭味にひたすら堪え、未練たっぷりに、物色するときの眼つきで本棚を眺めた。そしてその眼を今度は、一心不乱に恋愛術なる本を読んでいる、もう若いとはいえない係の女の横顔に移し、私に言った。「本だってそうばかにしたものでもないさ」と言い、「本があの女を救っているじゃあないか」と言った。私は言い返した。錯覚や逃避は真の救いになり得ない、と。
(2・18・土)

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