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『千日の瑠璃』140日目——私はキャンパスだ。(丸山健二小説連載)

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私はキャンパスだ。

油絵具をむやみにごてごてと塗り重ねられている真っ最中の、ついていないキャンパスだ。長いこと各地を流れ歩いているうちに素性の知れぬ人物となり、碌々として半生を無為に過してきた、自称画家は、うたかた湖の冬景色に甚く感銘を受けて筆を執った。だが、一向に埒が明かなかった。私の上に描かれるのは、鈍根に生まれついた者の下劣な品性であり、暗愚な輩の邪悪な精神であって、芸術の精華を示すものなどではなかった。彼はきょう、そのことを初めて認めた。

凍った湖面を滑りながら着地する白鳥を描こうとした際に、一世の芸術家という自負が大きくぐらついたのだ。無理からぬことだった。持ち前の負けん気を出せるほど若くはなかった。彼は筆をへし折って、「どうせわしなんか」と呟いた。そんな彼に向って、私は気休めにもならないことを言った。もっとひどい絵描きが一流として通っているではないか、と。天井から吊るした紐にぶら下がって、足の裏で絵具をこねくり回して仕上げるような作品よりは、ずっとましではないか、と。

すると彼は、「あんなごみみたいな奴らといっしょにしてくれるな!」と怒鳴って、雪だまを私に叩きつけた。傍らで見物していた病める少年も、彼に倣った。それから彼は、後の人々の評価を待つといういつもの弁解も忘れて帰って行った。私は言っても詮ないことを言った。なぜこの少年を描かない、と。
(2・17・金)

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