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『千日の瑠璃』104日目——私は土蔵だ。(丸山健二小説連載)

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私は土蔵だ。

農政に失望し、先行きに絶望してまほろ町を離れた農家の、まだまだ充分に使用できる土蔵だ。昨年の暮れ、老夫婦は秋に収穫した米を炊いて食べ、私が貯蔵していた米まで売り飛ばし、先祖伝来の田畑を見棄てて姿をくらました。私のなかに怒りやら悲しみやら怨みやらを閉じこめて、何処へともなく立ち去った。夜逃げ同然だった。

そしてしんしんと冷えこむ今夜、中学も卒業しないで家を飛び出した、この家の五男が、五年ぶりに私の前に立った。身ひとつで帰郷した彼は、誰もいない母屋にも、荒れ果てた耕作地にも、立ち枯れた果樹にも、四方を囲むカラマツの森の成長にもさして驚かず、そんな物には眼もくれないで、ただひたすら私のみを見つめた。

この冬に二十歳を迎えた若者の頭上に、切なくて青い星がすっと流れた。すると彼は、だしぬけに叫んだ。叫びながら彼は私に体当たりをし、重くて分厚い土の扉を開け、闇のほかには何もない、子孫の身を案じる霊魂の気配もない私の懐へ飛びこんできた。さしもの私も、あまりに凄じい絶叫を完全に封じこめることができなかった。私を貫いた彼の声は森を抜け、凍てつきつつあるうたかた湖に跳ね返って、丘の上の一軒家まで届き、今度は、彼を痛烈に批判するオオルリの声や、人間の子どものものにしてはけだもの染みている声と共に、私のところへ戻ってきた。
(1・12・木)

丸山健二×ガジェット通信

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