新しい「紅い資本家」が台湾を動かす(ジャーナリスト 野嶋剛)

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新しい「紅い資本家」が台湾を動かす(ジャーナリスト 野嶋剛)

台湾に、「紅い資本家」が誕生しようとしている。
「紅い資本家」という言葉には注意が必要だ。

1980年代から90年代にかけて、中国の改革開放政策の下で香港などに進出して荒稼ぎし、その富を中国大陸に持ち帰ることに成功した者たちがいた。中国国際信託投資公司の創設者で、国家副主席も務めた栄毅仁などが代表格だった。彼らは最初に「紅い資本家」と呼ばれた人々だ。
1997年に中国に返還された香港では、企業家たちが先陣を切って中国政府の軍門に降った。彼らは対中ビジネスのうまみに優先的にあずかりながら、香港社会における中国支持勢力を形成した。香港発の「紅い資本家」である。

また、中国において急激に増えた民間企業経営者たちは、本来の共産主義理論では「階級敵」であった。その彼らが、江沢民時代に打ち出された「3つの代表」論によって入党を認められたときも、「紅い資本家」の登場と騒がれた。
要するに、その時代、時代によって、共産党が指導する中華人民共和国と親しい関係を結んだ企業家が「紅い資本家」なのだとも言える。
本論で提起する台湾の「紅い資本家」は、2008年の国民党の政権復帰、そして対中関係の劇的な改善がもたらした副産物であり、最も新しい「紅い資本家」である。
そして、中国ビジネスで莫大な富を築いた台湾企業のトップたちが、いま、中国の意図を体現する存在として、台湾社会で影響力を発揮しつつある。

「中国時報」の悲劇

8月上旬のある日の夜、台北。
「中国時報」の本部ビルから徒歩5分ほどの距離にある「熱海」という庶民派海鮮料理レストランに、1人また1人と、同社の記者や編集幹部たちが集まった。理由は「やけ酒」をあおるためだ。

中国時報は台湾きってのクオリティペーパーとして長く社会的信頼を得てきた。優秀なベテラン記者が多く、飛ばし記事が多い台湾のメディアのなかでは報道内容にもかなり信頼がおけた。傘下に「中国電視」「中天電視」「中時出版」などを抱える、台湾最大のメディアグループでもあった。

その中国時報で最近、離職の嵐が吹き荒れた。原因は同紙の急激な親中化とオーナーによる報道の私物化だ。中国時報グループは2008年、中国でのスナック菓子ビジネスで大成功を収めた旺旺グループに買収された。比較的バランスの取れた中道路線だった中国時報の論調は、中国との関係強化支持一本槍に変貌し、対中関係を重視する与党・国民党の機関紙のような報道も散見されるようになった。
これらの変化は、旺旺グループを一代で築き上げた創業者・蔡衍明の「クビか、服従か」式の命令によってなされたものだったとされている。

問題がピークに達したのがこの夏。旺旺・中国時報グループが新たにテレビ局を買収しようとしてメディアの集中原則違反との批判を浴びると、その中心人物の学者の自宅に記者を張り込ませて行動を監視し、紙面で誹謗中傷の報道を繰り広げるという、メディアにとっては自殺に等しい行為に出た。主筆、副主筆、副編集長ら編集幹部や、誹謗記事を執筆した記者たちが相次いで辞職。中には私の友人も含まれていた。

「両岸は遅かれ早かれ統一する」

部外者の私がいては話しにくいかと心配したが、彼らの口からは次々と憤慨に満ちた言葉があふれ続けた。料理はどれも台湾の新鮮な海鮮を使った美味しいものばかりだったが、ほとんど料理には手をつけず、深夜までひたすら議論にふけった。

「蔡老闆(蔡総裁)は、メディアを会社の広報誌のように思ってるんだよ」
「××さんも、辞表を出したのか?」「中国時報はおしまいだ」
「だが、どのメディアが頼りになる? 聯合報はもともと国民党支持。リンゴ日報はスキャンダル。自由時報は極端な独立派。台湾の新聞は死んだよ」
「新しいメディアを作ろうか」「この不景気の時代にそんなことできるわけない」

同じようにメディアで働く人間として、話にただ耳を傾けながら、苦い思いを台湾ビールでのどに流し込むことしかできなかった。

この日、中国時報グループが発行する「旺報」というタブロイド紙の1面トップには、ちょうど台北で開かれていた中台対話の中国側代表者と握手する旺旺グループの蔡衍明の写真がでかでかと掲載されていた。
中国時報で起きたことを理解するには、この問題の背後に潜んでいる「二重構造」を理解しなくてはならない。
表面的には、経営環境の悪化に見舞われた伝統的な経営スタイルのメディアが新興資本に買収され、報道の自由や不偏不党を重視しない経営陣の介入が編集現場に及んで軋轢を生むというケースで、過去においても世界中で起きてきたことである。
しかし、より重要なのは、台湾において、2008年の馬英九政権の登場に伴う対中関係の改善によってもいわゆる「紅い資本家」たちが存在感を示し始めたという事態である。

蔡衍明は今年1月、米紙とのインタビューでこのように答えている。
「両岸(中台)は遅かれ早かれ統一するよ」「中国は外部の人間が思うほど悪くない。民主的になってきている」「台湾は中国への恐れを克服すべきだね」
これこそ、中国政府が台湾人の口から聞くことを長く待望してきた発言だろう。

とどめを刺された蔡英文

「以商囲政」という四字熟語がある。企業生存と繁栄を最優先とする経済界の力によって政治を身動き取れないようにしてしまう戦略のことで、中国はこの「以商囲政」を、もともと隠そうとはしてない。
「これは陰謀じゃないのです、誰もが気づいている『陽謀』なのです」
そんなセリフを、中国の台湾政策担当者の口から何度も聞かされた。その威力を見せつけたのが、今年1月に行なわれた総統選だった。

国民党の現職、馬英九総統は民進党の女性候補・蔡英文に予想外の接戦を許した。特に2011年11月から12月にかけて、両者の差は5ポイント以内に入り、選挙結果がどうなるか分からないという危機感が国民党陣営に蔓延していた。中国でも台湾選挙は楽観できずという情報が指導部の間に流れたという。

総統選のポイントは「92年コンセンサス」だった。中国と台湾はお互い「1つの中国」の主張を崩さないが、それぞれに異なる立場に立っていることは受け入れる、というもので、1992年の中台協議で双方が合意したとされている。
この92年コンセンサスを馬英九は前面に掲げて中台関係の改善を進めたが、民進党の蔡英文は92年コンセンサスが台湾の主権を損なう、として認めない立場を取った。
 
選挙戦終盤、92年コンセンサスへの支持表明の口火を切ったのは、シャープへの資本参加で日本でも一躍知名度を上げた電子機器の超巨大EMS企業「鴻海精密工業」の郭台銘会長だった。
「台湾のチンギス・ハーン」と呼ばれるカリスマ経営者・郭台銘を皮切りに、エバーグリーンの張栄発、遠東グループの徐旭東、台湾プラスチック・グループの王文淵など、台湾を代表する経営者たちが雪崩を打ったように「92年コンセンサス」への支持をアピールした(別表参照)。

最後の一撃は、スマートフォン市場で、アップル、サムスンにつぐ3番手につけているHTCの女性経営者、王雪紅だった。投票日前日の1月13日、「92年コンセンサスがない両岸関係は想像できない」と記者会見をわざわざ開いて語ったのだ。台湾の若者に人気のある王雪紅によって、蔡英文はとどめを刺された形だった。

「三位一体の支配」

実際のところ、中国との関係改善が台湾社会全体で大きな経済的メリットにつながっているということは、必ずしも各種経済統計のデータに表れていない。しかし、企業人たちの支持表明は、本来、移民社会で未来への不安感を潜在的に抱くとされる台湾社会を大きく揺さぶって、馬英九支持に誘導することに見事に成功したのである。

中国政府がこれらの企業家たちに「92年コンセンサス」への支持を表明して欲しいと無理強いしたとは考えにくい。いずれも、自らの手で小さな工場を大企業にまで育て上げた一騎当千の創業者たちである。だからこそ、利があると悟れば、動きは速い。現在の中国との関係を悪くはできない、ということが合理的な経営判断だったのだろう。
それはまさしく、中国が1990年代以来、長期的な戦略のもとに育ててきた台湾企業の「紅い資本家」による「以商囲政」が実った姿だったとも言える。

台湾では、現在、台湾の与党国民党と中国の共産党、そしてこの「紅い資本家」たちの共同戦線を「三位一体の台湾支配」と評する向きすらある。
「紅い資本家」の動向が、今後の台湾の進路を左右することは間違いなさそうだ。

財界人

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野嶋剛 Nojima Tsuyoshi
ジャーナリスト

1968年生れ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長。現在は国際編集部。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)がある。

※この記事はニュース解説サイト『Foresight』より転載させていただいたものです。 http://fsight.jp/ [リンク]

※画像:台湾総統府 by Ting Chen, Wing
http://www.flickr.com/photos/philopp/1239257044/

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