[TED]自分で決めたつもりのその選択、実は誰かに”させられている”かも。「我々は本当に自分で決めているのか?」by ダン・アリエリー

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[TED]自分で決めたつもりのその選択、実は誰かに”させられている”かも。「我々は本当に自分で決めているのか?」by ダン・アリエリー

今回は@ushigyu(うしぎゅう) さんのブログ『おまえは今までスキャンした本の冊数をおぼえているのか?』からご寄稿いただきました。

[TED]自分で決めたつもりのその選択、実は誰かに”させられている”かも。「我々は本当に自分で決めているのか?」by ダン・アリエリー

こんにちは。合理的に考えているようでいて、よく勢いでものごとを決めてしまううしぎゅう(@ushigyu)です。

今回紹介するのは、「我々は本当に自分で決めているのか?」というTED Talk。

このダン・アリエリーさんは、私も読んだことのある行動経済学の本「予想どおりに不合理」の著者でもあります。

(めっちゃ面白いです。オススメ。)

予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー,Dan Ariely 早川書房 2010-10-22

行動経済学は、人間がどのように選択・行動するかを実験等により明らかにしていく経済学。

それによると、私たちは「こちらの方がお得」「こっちが良さそう」と合理的に考えているようでいて、どうもそうではないようなのです。

例えば、全く同じ選択肢のはずなのに、ちょっと細工をするだけでその選択肢が選ばれる可能性が飛躍的に上がったり。

日々「自分で選択している」と思っていることが、実はその仕組みを作った人にコントロールされているかもしれませんよ・・・。

「我々は本当に自分で決めているのか?」by ダン・アリエリー

動画の説明は以下の通り。

「予想通りに不合理」の著者である、行動経済学者ダン・アリエリーは昔ながらの視覚的錯覚や彼独自の思いもよらぬ(時にショッキングな)研究結果を用い、人が何かを決断する際、自分で思っているほど合理的ではないことを証明します。

それでは、プレゼンテーションをどうぞ。

◆プレゼンテーション内容のまとめ

▼錯視を打ち破ることは不可能。繰り返し予想通りに欺かれる錯覚を避ける方法はない。→以下の錯視も有名ですね。AとBは同じ色ですが、そうわかっていてもそう見える人はまずいないでしょう。

[TED]自分で決めたつもりのその選択、実は誰かに”させられている”かも。「我々は本当に自分で決めているのか?」by ダン・アリエリー

Optical Illusion / Rob Lee
(画像が見られない方は下記URLからご覧ください)
http://px1img.getnews.jp/img/archives/are_we_in_control_of_our_own_decisions_11.jpg

▼脳の大部分を使い、人間が得意とするはずの”視覚”で繰り返しミスをするならば、例えば投資判断など、別のことはより多くの間違いを犯していてもおかしくない。
 そして、その認識の間違いをわかりやすく示すのは錯視よりずっと難しい。

▼臓器提供の意思表示について、「希望する人はチェック」の場合と「希望しない人はチェック」を比較してみると、後者の方が圧倒的に”希望者”が多かった。
 考えるべきことが複雑な場合、人はそれを避ける傾向がある。

▼この例でもわかる通り、”自分で決定している”感覚があるにも関わらず、私たちの決断は記入用紙のデザイナーの手の中にある。
これを自分で認識するのは難しい。

▼「ローマとパリ、どちらに旅行に行く?」という設問の場合と、「朝のコーヒーつきのローマ、コーヒーなしのローマ、パリ」という選択肢だと、後者は「コーヒーつきのローマ」が圧倒的に人気になる。コーヒーはたった数百円で買えるにも関わらず、だ。

▼コーヒーなしのローマが、コーヒーありのローマを引き立てる役割を果たしている。

▼経済誌「エコノミスト」の(1)オンライン購読59ドル、(2)雑誌の定期購読125ドル、(3)両方購読125ドル、という選択肢も同じ。

 一見誰も望まない(2)の選択肢が、引き立てる意味では意味のある選択肢となった。(3)の選択肢をより際立たせ、選択する率が大幅に上がった。

▼人は、自分の好みを本当は良くわかっていないが故に、外部の影響をうけやすい。

▼経済学では人は理性に基づいて行動するが、行動経済学ではそうではない。

▼物質的な限界を認識すると同時に、行動経済学が示すような「認識的な限界」を理解することができれば、世界をより良く設計できるはず。

◆不合理な決定をする私たち

自分の意志で決めているつもりでも、実はその選択肢を作った人にコントロールされている、という場合は往々にしてあります。

上記の例の他には、「松・竹」という選択肢に1つ加えて「松・竹・梅」にしてやると「竹」が選ばれやすくなるなど、そのバリエーションは様々。

選択肢だとか仕組みを作る側は、選んで欲しい選択肢を選ばせようとあの手この手で「不合理な」選択を迫ります。

これを回避して常に合理的な選択をする方法はあるのでしょうか・・・。

個人的には、一つ考えていることがあります。

それは、他の選択肢と比較して”相対基準”で決めてしまわないこと。

他の選択肢などは関係なく自分がそれを選びたいかどうか、つまり”絶対基準”で考えることが重要なのではないかと思います。

◆あとがき

今回のプレゼンで述べられたようなことを認識しているとしても、それでも合理的な決定をするのはなかなか難しいものです。

可能な限り「見せ玉」の選択肢の影響を排除して、本当に自分の希望に合った選択肢を選びたいものですね。

執筆: この記事は@ushigyu(うしぎゅう) さんのブログ『おまえは今までスキャンした本の冊数をおぼえているのか?』からご寄稿いただきました。

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