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続・フィクションと現実の区別がつかない人々

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続・フィクションと現実の区別がつかない人々

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

続・フィクションと現実の区別がつかない人々

人間というのは不思議なもので、抗いがたい巨大な力には、自発的に同調する習性がある。これは人間が群れを作る動物であることに起因しているのだろう。従う者と従える者があって初めて群れは維持できる。人間は強い者に自発的に従うようプログラムされているのだ。おそらくこの原始的本能は、個体の生存本能の次ぐらいの高い優先順位。

この本能はいろいろ賢い人間に悪用される。たとえばキャッチセールスとかがいい例。何時間も勧誘され続けると、被害者はそのつらい状況から逃れようと、「契約してもいいかな」という考えになる。ずっと断り続けるよりも、その方が辛くないわけだ。楽になれる。

しかも一度契約してしまうと、今度は「自分の意志で契約した」と考え始める。自分の行動は強制されたものだという状況が受け入れがたいので、自主的に選択をしたのだと自分の記憶を書き換えていく。こうなった後の状態の被害者を「騙されてるんだ」説得するのは難しい。

自分より強い者への従属行動は、こうして正当化されていく。強制されたのではない、自発的な判断の結果、従っているだけだ…と。

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最近話題のイジメでも同じ意識が働く。学校が「タバコの火を腕に押し付けられたのは生徒間の合意の下での行為だった」と発表して世間を唖然とさせたが、ある意味そういう言動はあったのだろう。被害者は「イジメられているのではない。合意の上での遊びだった」と答えるというのは、ありそうなことだ。

被害者からみれば自分がいじめられているという状況は受け入れがたいので、自分も自主的に遊びに参加してるのだと思い込もうとする。もちろんそれは上述のような心理の産物であり、かりに被害者がそう思い込んでいたとしても、客観的には真実ではないのは明らか。教師は本来そこまで見ぬかなければならない。

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マンガやアニメに出てくる戦争のラストシーンは、敵の本拠地が大爆発して後腐れなく消えてなくなってくれる事が多い。きれいサッパリ決着がつき、読者もすっきり。どっちが勝っているのか、もっといえば勝ちに近づいているのかわからないような、泥沼の戦闘では読み手がすっきりしない。

ベトナム戦争や朝鮮戦争などのように、結局どっちがいつ勝ったのかわからないような、曖昧な休戦状態というのは、読者にウケない。できれば敵の親玉には、絶叫したまま炎の中に消えていってほしい。

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名探偵物も同じで、名探偵が「犯人はあなたです」と指摘すると、言い当てられた犯人は、観念して聞かれてもいないことまでペラペラ自白するとか、すきを見て服毒自殺するとか、とにかく鮮やかに決着してもらわなければならない。

面倒な裁判や「ああ、あの時は錯乱してしまって、身に覚えのないことを口走ったかもしれませんが」とかのグダグダの水掛け論などは読者は見たくないのだ。裁判で徹底抗戦されて、10年後にようやく有罪の判決がでるのでは、ストーリーが成り立たない。

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敵の基地が大爆発するのも、犯人がペラペラ自白するのも、フィクションを構成する都合上しかたのないことだ。でもそれはあくまでフィクションの約束事であって、現実とごっちゃにしちゃいけない。

ましてや現実の兵器である原爆の大量の殺戮を、その後ごちゃごちゃと続く消耗戦よりマシだとか、言い出すようになると重症。戦争というのは互いの国民の命をかけた勝負なのだから、苦しみがなければならない。すっきりスマートに勝ったり負けたりしてはいけないのだ。

現実のたいていの問題というのは、ぐだぐだと無駄に解決に時間がかかるものだ。フィクションだとコロンブスの卵のごとき名探偵の鮮やかな一言で、誰もがぐうの音も出ない形で解決してしまうが、現実にはあまりそういうことは起きない。泥沼の中で消耗戦の末によくわからない状態で、誰もが関心を失った頃、いつの間にかひっそりと解決する。

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「一撃でスマートに決着がつく」ような兵器や論法は、現実の世界にはめったに存在しない。それを夢見るのはフィクションの中だけにしておくべきだろう。

ホリエモンなどネットの有名人が、ときおり暴言でそういった言動をし、ネットの人々が絶賛するという構図がある。しかしそれは刹那的なフィクション的痛快さ・快楽を得ているだけであって、冷静に見れば現実の問題解決には何も繋がっていないことに気づくべき。何も解決していないのに、レトリックで解決したかのように錯覚せているだけのことなのだ。スッキリするから大衆のガス抜きにはなるかもしれないが。

レトリックで人の心を動かせるのは短期間だけだ。人の心を変化させるには、読み手の自主的な思考を促すようなものでなければならない。「はい、これが答えです」と答えを提示してスッキリさせてはいけないのだ。モヤモヤを読み手の心に残さなければならない。それでこそ読み手はなんとかその心地悪い状態を解消しようと、自分であれこれ考え始める。

よくtwitterで有名人の発言に「すっきりしました」「とてもわかりやすいです」とかツイートしている人々がいるけれど、そういう人達の他のツイートを読むと、自分では何も考えないタイプの人が多い。まさにそれは冒頭で述べたような「自主的に服従する」側なのだ。本人は自分の意思だと思い込んでいる(思い込もうとしている)けれど。

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名作には悲劇が少なくない。悲劇は読み手にフラストレーションを残す。フラストレーションを残すのが名作なのだ。(精神年齢が)おとなになったら、むしろフラストレーションを感じる作品の方を好むようにならなければいけない。

スッキリさわやか後腐れのない作品に魅力を感じるのは、精神的に幼いのだ。そういう作品は自分の中に思索の嵐を呼び起こさないという意味で、つまらないと感じるようでなければならない。「アハハ、ワーすごい」だけでは、ね。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

カテゴリー : 政治・経済・社会 タグ :
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