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【日曜版】新たに聞く~日本の新聞の歴史~【第10回 戦中・戦後の新聞】

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昭和に入ると、第一次世界大戦後の好景気の反動で起きた経済不況は社会不安を引き起こしました。政府はこれに対応しきれず軍部と右翼勢力の台頭を許し、昭和6年に起きた満州事変と犬養首相の暗殺事件(五・一五事件)は、ついに政党政治の機能を奪いました。戦争へと向かう道のりで、新聞はどのような役割を演じたのでしょうか?

軍部の圧力に屈して

当初、新聞は軍部による政治介入に対して強い批判を行いました。しかし、五・一五事件について批判した『福岡日日新聞』は久留米師団の投書や威圧を受け、関東防空大演習時を批判する記事を書いた『信濃毎日新聞』の桐生悠々は退社を余儀なくされるなど、軍部による威嚇やいやがらせ、不買運動、右翼分子による暴力事件などが相次ぎました。

ちなみに、昭和11年の二・二六事件では、新聞・ラジオはすべて停止しています。直後に事件の詳細を報じた新聞は発売禁止になって押収され、戒厳令のもとで軍部発表以外にはいっさい報道することが禁じられました。あえて報道に踏み切った新聞は検閲され、事件に関する部分は白紙で印刷されてしまうほどの言論統制が行われています。

戦時中の報道統制
また、この年には国家代表通信社である『同盟通信社』が設立されるとともに、内閣に情報委員会が設けられています。これ以降は、戦時中の内外の通信は、すべてこの通信社を通じて行われることになり、政府と軍部の情報統制の基礎が築かれていきました。この情報委員会は、後に内閣情報局として終戦まで国家報道・宣伝の統制をはかる組織として、報道全般を縛り続けることになります。

しかし、内閣情報局には、『朝日新聞』の編集主幹・緒方竹虎と『毎日新聞』の主筆・高田元三郎などが迎えられており、新聞界の一部は政府・軍部と強いつながりを持ち、言論統制の一端を担っていたという事実を物語っています。戦争が拡大していくにつれて、報道制限はますます厳しくなり、軍部に都合の悪い記事を掲載した場合は、すぐに発行禁止に追い込まれるまでになります。戦線が拡大していくと、新聞には『同盟通信社』を通じて発表される軍部の宣伝ともいえる情報ばかりが載るようになり、国民は真実を知らされないままに戦争へと駆り立てられ、おどらされてしまうことになりました。

最後に、戦時下の言論統制体制を完成させたのは、新聞統制団体『日本新聞会』と内閣情報局による「一県一紙制度」の実施でした。これによって、当時全国に1200紙の日刊紙(週刊、旬刊を含めると約7700紙)がありましたが、昭和18年にはたった55社にも減らされています。表向きは、統合によって紙・インクなどの物資と人的資源の節減が掲げられましたが、真の目的は新聞の数を減らすことによって情報の統制を容易にすることでした。長引く戦争による物資不足は、新聞のページ数を減少させ、終戦直前には朝刊がわずか2ページ(ペラ1枚)というありさまでした。

このような言論統制下にあって、軍部や政府、戦争を批判する新聞はほぼ消えてしまいました。海外の戦線の状況はもとより、広島・長崎への原爆投下についてさえ最小限の報道しかされず、沖縄につづく本土決戦へと国民を鼓舞しつづけて終戦を迎えることになりました。

言論の自由が“与えられた”日
戦後、戦争犯罪人として逮捕された『同盟通信社』社長の古野伊之助は、尋問に対して「厳しい検閲のために戦争に抵抗できなかった」と答えたそうです。軍国主義のもとで、言論の自由を奪われ続けたジャーナリズムは、むしろ戦争の被害者であるという意識がうかがわれます。『同盟通信社』は戦争責任を追及されて解散し、新聞各社内では幹部・編集局長の更迭などが行われるなどの争議が起きました。

占領軍は、ただちに戦時中の言論統制法規を停止または廃止しますが、新聞、雑誌等の発行前ゲラを提出させ事前検閲を行いました。GHQによる検閲は、雑誌、広報から社内報や学校新聞まであらゆる印刷物に及んだと言われています。昭和22年に事前検閲から事後検閲になり、新憲法にって保障されるにいたって、初めて日本に「言論の自由」がもたらされるようになったのです。

連載のおわりに
東京産業新聞社創立記念として連載してきた『日本の新聞の歴史』は、今回でおしまいです。江戸時代のかわら版からスタートして、開国とともに日本に新聞という文化がもたらされた頃のこと、ベンチャーとして誕生した新聞社の青春時代とも言える明治・大正の頃、そして政府による言論弾圧に悩みながら迎えた二つの大戦の時代……と、日本の新聞が誕生してから約100年間ほどの歴史を追いかけてきました。

新聞が届くのを誰もが心待ちにし、人気記者たちが活躍していた時代もあったのだということ、そして日本のメディアそのものが言論の自由を得てからわずか60年ほどしか経っていないことなど、今すでに忘れられようとしている事実もあったのではないかと思います。

東京産業新聞社は、ネットを使った情報メディアを編集・配信するために設立されました。『ガジェット通信』をはじめ、まだスタートしたばかりで試行錯誤もありますが、これからの情報メディアのあり方を果敢かつ大胆に模索していきたいと思います。
 

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新聞形式で、太平洋戦争時の戦況、国際情勢、風俗をわかりやすく読み解く。戦時中に発行された実際の新聞のキリヌキも掲載。事実に基づいて編集した本文とのギャップから、戦時報道のあり方を如実に見ることができる一冊。

 

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記者:

京都在住の編集・ライター。ガジェット通信では、GoogleとSNS、新製品などを担当していましたが、今は「書店・ブックカフェが選ぶ一冊」京都編を取材執筆中。

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