インテリジェンスと国際政治に翻弄される天野IAEA(早稲田大学客員教授 春名幹男)

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IAEA

 5月8日、イラン西部アラク近郊で、国際原子力機関(IAEA)の査察官2人を乗せた車が交通事故に遭い、1人が死亡、もう1人が負傷した。死亡したのは韓国人、負傷したのはスロベニア人だった。韓国人査察官は元教育科学技術部所属の技官ソ・オクソク氏(58)。1998年からIAEAに勤務していた。

 報道を総合すると、2人はアラクにある実験用重水炉の査察に当たっていた。事故車はなぜか、道路を外れ横転した。テロ事件の可能性を示す兆候はこれまで見つかっておらず、単純な交通事故として片付けられた。

 IAEA査察官の仕事は危険を伴う。1978年には台湾の核施設査察中のフランス人査察官ピエール・ノアール氏が感電死する事件があった。当時台湾が核兵器開発を試行錯誤していたこともあり、死因を疑う向きもあった。

 イランの交通事故も核問題をめぐる国際的な協議を前にした微妙な時期に起きたため、IAEAに対する「報復か」とみる人もいる。

チェイニーがはまったのと同じ罠

 上記2件の出来事は単なる事故の可能性も十分あるが、陰謀論が渦巻くところがIAEAを取り巻く情勢の異常さを物語っている。

 各国の国益と戦略、思惑が交錯する国連機関では各国の情報活動は日常茶飯事だ。

 特に、核拡散の監視にも取り組む国連専門機関IAEAでは、インテリジェンスの攻防がさらに激しい。IAEAにも査察活動で蓄積された情報はあるが、各国の情報機関のような組織はなく、未知のインテリジェンスなどは加盟国から提供される。イランや北朝鮮などの核開発問題は関係諸国の安全保障にかかわり、場合によっては主要国の国内政治、選挙結果にまで影響を及ぼす。

 その事務局トップに2009年12月、被爆国日本の外交官、天野之弥氏(65)が就任して、大きい期待感が高まっていた。

 しかし現状では天野事務局長の実績が評価されているとは言い難い。リベラル系英紙ガーディアンはこの3月、「イラン問題で核監視機関のトップに親欧米との非難」との見出しの調査報道記事を掲載した。天野事務局長は昨年11月、イランの核兵器開発情報を詳しく記した報告書を公表したが、これは「親欧米的偏向」「未検証のインテリジェンスへの過度の依存」の結果だと同紙は批判したのだ。

 欧米情報機関が「イラクが大量破壊兵器開発」と誤った評価をしたのと同じ失敗で、天野氏は「チェイニーの罠」に陥った、との米国の元IAEA幹部、ロバート・ケリー氏の談話も載せている。ケリー氏のほか、著名なOBたちまでが天野氏を厳しく批判している。

 一体、IAEAで何が起きているのか。

 内部告発サイト「ウィキリークス」が入手して公開した米外交機密文書から、問題のポイントをうかがい知ることができる。

 天野氏は米国の駐ウィーン国際機関代表部大使に対して「すべての重要な戦略的決定において、自分は完全に米国側の考えと一致している」と自らの立場を明らかにした、とする米外交文書の内容は日本でも報道された。

 実は、天野事務局長のことを記した米側電報は2009年7月7日、同10日、10月16日の3通ある。その中で最も注目すべきことは、天野氏と米代表部がIAEA内の微妙な人事問題についても詳細に打ち合わせていたことだ。

批判が天野氏の一身に?

 米側は特に、対外関係政策局(EXPO)担当のビルモス・チェルベニー次長補(ハンガリー)を「厄介な」人物とみていたことが2009年7月7日付米外交文書に記されている。

 米国はエルバラダイ前事務局長(エジプト)を支持していなかったが、チェルベニー氏はその「エルバラダイ派」。「天野体制に楯突く、手の焼ける官僚」と指摘されている。

 ガーディアン紙によると、天野事務局長は昨年3月、まさにそのEXPOの解体を決定、エルバラダイ前事務局長のブレーンだったEXPOのスタッフを傍流に追いやった。そして、その機能は事務局長室に吸収して権限を集中した、と同紙は伝えているのだ。

 その結果、EXPOで内部的な評価にさらされることなく、昨年11月8日イラン核問題報告書がIAEA理事会に報告された。

 報告書で、イランは(1)核兵器に用いられる高性能爆薬の実験と起爆装置の開発(2)核兵器への使用を目的にコンピューター上で行なった部品の性能試験(3)中距離弾道ミサイル「シャハブ3」への核弾頭搭載を想定した技術開発――などを行なった可能性があると記されている。

 まるで、イランが核兵器開発に邁進しているかのような印象を受ける内容だった。IAEA報告書を受けて、欧米では対イラン制裁強化の機運が高まり、イスラエルは再びイラン核施設攻撃の主張を強めた。

意味不明のIAEA報告書

 これに関して、ケリー元IAEA査察官は(1)挙げられた3点の証拠のうち2点は「情報源が2カ国のみ」(2)残り1点は偽情報――とブルームバーグ通信への寄稿記事で指摘している。

 ところが、米国は現在も、イランは核兵器開発を決定していない、とみている。2007年12月に公開された米国家情報評価(NIE)で「イランは2003年秋に核兵器開発を中断し」、なお再開していない、と判断したが、現在もその見解を変更していないのだ。

 しかるに、IAEAはなぜこのような報告書の内容を今まとめたのか、その理由が全く分からない。

 いずれにしても、IAEA報告書は最終的に事務局長室で情報を集約してまとめ、加盟国に提出された。その結果、指揮系統を中央集権化したといわれる天野事務局長の組織運営法が批判の矢面に立たされている形だ。

 IAEAでは、米国などの有力国、イランなどの核拡散国やG77と呼ばれる途上国、「反核拡散ラジカル」とも言えるリベラル系査察官などのアクターたちの思惑が複雑に絡み合っている。とりわけ、天野批判はリベラル系査察官およびそのOBたちの間で激しいようで、その影響が米国内のリベラル系シンクタンクなどに及んでいるようにも見える。

損なわれた日本の国益

 IAEAにおけるインテリジェンス政策は極めて難しい。米中央情報局(CIA)やイスラエル対外情報機関モサドの情報を選択するよう求める圧力もあるだろう。

 天野事務局長は5月21日、イラン側との交渉の結果、核兵器用高性能爆薬の実験が行なわれた疑惑があるテヘラン郊外パルチン軍事施設への立ち入りも含めた新しい検証枠組みについて事実上合意した。しかし、23日イラクで国連安全保障理事会の5常任理事国にドイツを加えた6カ国とイランの協議は一転して、難航。何とか決裂を避け、協議継続で合意したが、悲観的な見方が広がっている。新しい検証枠組みは宙に浮いたままだ。

 国際政治の思惑に翻弄されるIAEAの姿がそこにある。

 翻って、舞台裏の外交・インテリジェンスの攻防の中で、日本の国益が顧慮されたか、問う必要がある。日本は、IAEA報告書の結果、西側の対イラン制裁が強化され、イランからの石油輸入削減を受け入れざるを得なかった。結局、日本の国益も損なわれたことになる。事務局長を派遣した立場から、インテリジェンス政策のあり方を検討する必要もあろう。

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春名幹男 Haruna Mikio
早稲田大学客員教授

1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。現在、早稲田大学客員教授、名古屋大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。

※この記事はニュース解説サイト『Foresight』より転載させていただいたものです。 http://fsight.jp/ [リンク]

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