「死んだ後でもお怒りが解けたら君に感謝するよ」入れ替わる生と死……泡の消えるように逝ったエリート貴公子 ~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~

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明日をも知れぬ容態……最後の昇進祝い

柏木との不倫の果てに妊娠した子を出産後、突如出家した女三の宮。病床でそのショッキングなニュースを聞いた柏木は、ついに精魂尽き果て、もう今日か明日かという状態に陥りました。

今となっては、不幸な結婚生活に甘んじた妻の女二の宮(落葉の宮)が気の毒でならず、なんとかしてもう一度彼女に会いたいと訴えます。身分がら、宮が夫の両親に姿を見られたりするのもはばかられるので、こっちに来てもらうわけに行かない。身分が高いと本当に大変です。

しかしつきっきりで息子の看病をしている両親は「こんな状態で出かけられるわけがない」と猛反対。それならせめてと「どうか私が死んだあとは宮さまのお世話を……」と頼もうとしますが、ママもパパも「縁起の悪い!お前に死なれて、生きていられるわけがない」と泣き出してしまい、お話になりません。

仕方なく、柏木は見舞客や自分の弟たちに宮の今後を頼み込みます。誰にも優しく優秀で、これから国を背負って立つ若者と目されていた彼が、いよいよ死んでしまうのか……と誰もが胸を痛める中、ついに帝も昇進を命じられます。権大納言という高位を得て、ちょっとでも元気をだしてくれれば……という配慮です。

柏木はもったいなくもこれを拝命し、丁重にお礼を述べます。昇進祝いには大勢のお客さんが詰めかけますが、元気な頃ならともかく、明日をも知れぬ病人には残念なばかりでした。

こんなシーンで恐縮ですが、そういえば、帝(当時は皇太子)を言いくるめて奪ってきたあの子猫はどうなったのか。もう大きくなったと思いますが……蛇足ながら気になります。

「なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ!」親友と最期の対面

真っ先にお祝いに駆けつけたのは夕霧でした。「今日は昇進祝いだから、少しは元気も出たかと思ったのに……」。夕霧の言葉に、柏木はなんとか頭をあげようとしますが、それすらもやっとという衰弱ぶりです。

「失礼だけど、こんな時だから許してくれるね……」一言、二言言うのも大変そうな病人に、夕霧は「そんなことない。病気のわりにはイケメンだよ。いつもより良く見えるくらいだよ」。今にも死にそうな病人になんとも切ない励まし。この期に及んでも悪いことは言いたくないのが、男の友情っていう感じもしますね。

きれいに片付いた病室にはお香が奥ゆかしく香り、その中でかろうじて烏帽子をかぶって、白い衣姿で布団に横たわる親友。確かに長患いにしてはむさ苦しいところもなく、品の良い感じです。成人男性が頭に何もかぶっていないのはパンツを履いていないのと同じくらいのNGなので、一応柏木も烏帽子をかぶったのでしょう。

「子供の頃から、死ぬ時も一緒だって誓ったよな。なのにこんなに悪くなって、ひどいじゃないか。一体何が原因なのか、それすら僕にはわからない。親友なのに何も言ってくれないなんて……

僕だって、なんでこんなことになったのかわからないよ……。特にどこが悪いわけじゃなく、どんどん力が抜けていって、今も夢うつつな気がする。両親が悲しんで、懸命に祈るから引き止められているだけなんだ。僕自身はいつ死んでも構わないのにね……。

でも、いざ死ぬとなるとやっぱり気がかりなことがあるんだ。誰にも言うまいと思っていたけど、君以外に言える人がいない。親兄弟じゃダメな事だ。

実は君の父上、源氏の君のご不興を買うことがあって、それが大変に申し訳なく、ずっと罪悪感を抱えていた……。そしてあの試楽の日、やっぱり僕を恨んでいらっしゃることがハッキリわかって、そこからまた具合が悪くなってしまった。

源氏の君には子供の頃から本当に良くして頂いて、僕も不出来ながらご恩返しをさせてもらうつもりでいたのに……こじれてしまったことが心残りで、きっと来世への妨げになってしまうだろう。

夕霧、どうか機会を見て、このことを父上にお伝えしてほしい。死んだ後でもお怒りが解けたなら、君に感謝するよ……」。

「こじれたって、何のことだ?父は君のことをとても心配しているよ。そんなに悩んでいたなら、どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ!もっと早くわかっていたら、君の味方になってあげられたのに!」

「ホントだね。少しでもいい時に君に話しておくべきだった。だって僕自身、こんなに早く死ぬなんて思ってもみなかったよ。このことは誰にも言わないと約束してくれ。しかるべき時に、どうかお話してほしい。

それから、二の宮さまを……朱雀院がご心配なさらないように、生活の面倒をみてあげてくれ。よろしく頼む」。

まだまだ言いたいことはあったものの、もう声が出せないほど苦しくなった柏木は、手を振って「さよなら」の意を伝えます。容態が急変し、枕辺には僧侶や両親が駆けつけたので、夕霧は泣く泣くその場を後にしました。これが、親友との最期の対面になりました。

入れ替わる生と死……非情な運命に取り残された女

人びとの願いも空しく、ほどなく柏木は世を去ります。ついに妻の二の宮にも逢えないまま……。夕霧は彼の遺言に「やっぱり三の宮さまのことか?」と直観しつつも、まだその真意を測りかねています。

女三の宮にも柏木の訃報が届きました。ただただ苦しく辛かった彼との関係。もうあの人は死ぬだろう、生きていていてくれとも思わなかったけれど、こうして死んだと聞けばやはりかわいそうだと思います。

柏木は宮に「かわいそう」と思ってもらえるうちに死にたいと望んでいましたが、彼の願いは聞き届けられた様子。でも、そんな事が叶っても無念ですね……。

宮は、彼が生まれた薫を自分の子と知ってから死んだことも、なるほどそういう宿命だったのかと思わざるを得ず、非情な運命にただただ涙が流れます。

入れ替わる生と死、父と息子。彼女としても、どうしてそこまで彼に執心され、妊娠までさせられて、挙げ句出家せねばならなかったのか。そして彼は死なねばならなかったのか。その確かな答えは誰にも出せない。せめて運命と思うほかはないというところでしょう。

なぜ青年は死なねばならなかったのか?悲恋の背景を探る

宮のみならず、読者としてもスッキリしない点の多い、暗く後味の悪い柏木の恋の結末。物語に「なぜ」を問うのは野暮と知りつつも、ここでもう少し掘り下げてみたいと思います。

吉本隆明は『源氏物語論』で、かつて密通を犯した源氏と藤壺の宮と、柏木と三の宮を比較し、女性側が出家に至る経緯を「おなじ結構(原文ママ)」としながらも、二組のカップルに流れる罪悪感は「比喩的に言えばそれは背景になっている画布の色が一方は真っ白なのに、他方は灰暗色に塗り込められた差異みたいにおもえる」と指摘しています。

柏木右衛門督はなぜすでに光源氏の保護をうけ、その夫人になっている女三の宮に近づこうとするのか。女三の宮が評判の美女であり、かつてほかの貴族たちとおなじように懸想し、朱雀院が光源氏六条院にあとを託して出家したあと、猫が偶然に簾をひきあげたおり女三の宮の姿を垣間見て、こころを動かされた。そんな動機しかない。

自分を公私ともに引き立ててくれた、人格も地位もひとびとの人望も申し分のない光源氏に憎まれれば、少なくも宮廷世界で生き難くなると知りながら、しかも女三の宮のこころがじぶんに向かっていないのに、なぜ柏木は強引に想いを遂げようとし、いわばみじめな気持ちのまま犯してしまうのか。そこには心の深層にある自然もなければ、偶然にゆきあった出逢いの意味もない。あるとすれば暗いエロスの減衰感にうながされた行動だけだ。

(中略)

光源氏は女三の宮の不注意から、柏木の姦通を知っても、いちども柏木を責めたり非難したりしていない。にもかかわらず柏木の抱く罪障感と死にいたるまでの衰弱は、物の怪のせいでも何でもない。自分をひきたて何くれとなく目をかけてくれた絶対の権力者光源氏の夫人に懸想し、たった一度強引に思いを遂げたという事実を心にひきうけたところからきている。

(吉本隆明『源氏物語論』より引用 改行は筆者による)

更に、柏木の衰弱の仕方と、女三の宮の輿入れ以降の紫の上の弱り方がよく似ていると指摘した上で、それを光源氏自身の存在から、物の怪に似た”霊異の圧力”を受け取っていると分析しています。つまり生身の源氏の圧倒的なフォース(?)故に、それに接した人物たちは傷つかずにはいられなかった、と。

物の怪よりも怖ろしい…光源氏の光と影

源氏は口に出して宮を責めることこそあれ、柏木に対してはあの酒の席でのひと睨み以外には、たしかに何もしていません。しかしあの念のこもったダークな睨みこそが、青年を突き刺す致命傷となったのです。

ギリシャ神話では、主神ゼウスが自身はやりたい放題に恋愛をしつつも、自分の妻に手を出す男に手痛い報復をしていますが、その展開を彷彿とさせます。しかし源氏は神ではなく人間。そう思うと、いっそう光源氏という存在の怖ろしさ、犯し難い威厳が浮かび上がってくるようです。

一方、物語前半で大立ち回りした物の怪はどうでしょうか。紫の上・柏木・女三の宮周辺にも物の怪は出現していますが、物語前半ほどの威力は感じられない。一応、六条御息所ということになっていますが、登場ごとに存在感が失われ、もはや生きていたときの六条のプライドや気高さ、そこからくる凄みは消えています。

特に宮の出家後に現れた際には、個人的な部分がかなり消え、オホホと高笑いして消える小物っぷり。トラウマのある源氏は出てくるたびに嫌だなと思いますが、大した迫力もなく、読者としても「なんか後付けのためにちょっと出てきたな」程度の印象です。

すでに物の怪には、六条の生霊が葵の上を苦しめた時のような霊力も、取り憑く相手との因果関係もないのです。紫の上は源氏の話を聞いただけだし、柏木に至っては宮の生霊なら嬉しい位に思い、宮は取り憑かれているともわからずぐったりしていたのみ。その代わり、この三人に多大な影響を与え、直接的に苦しめた人物は誰か?それは、ほかならぬ光源氏なのです。

世にも稀な光源氏の輝きと、そこにできる真っ黒な影。柏木はその強烈さの前にあっけなく敗れ去りました。オロオロと弱って死んでいく最期は情けないというか、何も死ぬことないだろうとか、もうちょっと頑張れよ!という気もしますが、相手はなんと言っても強力なフォースの使い手。蹴鞠が上手な箱入り息子の青二才では到底太刀打ちできなかった。恋の相手も悪けりゃ、その配偶者は更にやばかったって感じです。

貴族の男としての理想的な人生を夢見た柏木の死は「泡の消えるように」と表現されています。まるで『人魚姫』のようで、若き日の泡沫の恋に散る、という言葉がぴったりです。が、圧倒的な源氏のパワーの前に屈し、霧散していく様子だと思うと、それはそれでしっくり来る感じがします。

簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/

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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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