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ヒロタカ レア・トラックス!

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 これは嬉しい一冊! 飛浩隆といえば、日本SF大賞を二度受賞した唯一の作家(2018年現在)であり、それどころか出した本すべてが同賞候補になった凄玉。だが、いかんせん寡作であり、ぼくと同年代のファンのなかには「飛さんの次の本が出るまでは死ねない!」とさまざまな健康法を試みている者までいる。次の本は『零號琴』といい、かなりの原稿ができあがりすでに推敲の段階らしいが、その推敲が延々とつづいており、SF界では「待っても待っても出ない話題作」の代名詞と化している(ハーラン・エリスンのアンソロジー『最後の危険なヴィジョン』ほどではないにせよ)。

 というわけで、こんかいの『ポリフォニック・イリュージョン』は、ファンにとっては慈雨といっても過言ではない。既存の作品集に収録されていなかった初期作品六篇とノンフィクション(書評、紹介、対談、インタビュー)の集成だ。

 デビュー作「ポリフォニック・イリュージョン」を読むと、飛浩隆は最初から飛浩隆だったとわかる。恋人たちの日常のディテール(「おいしい生活」感というか)や、現実が崩壊していく描写(身体と情報の両面に言及している)に、すでに『グラン・ヴァカンス』が胚胎しているではないか。

 ……というのは、あと出しジャンケンみたいなもので、小説の結構は典型的なアイデア・ストーリー。モチーフがフィリップ・K・ディックっぽい。もっとも、飛さん自身は「当時自分ではこの現実崩壊感覚はディックにつながるものと考えていたが、だんだんそうでないことが判明していくのであった」と述べている。「判明していく」とは、その後、新しい作品を書くにつれて—-ということだろう。

 このように本書には、著者自身による解題が付されている。これはもともと、第一短篇集『象られた力』が刊行されるより前、ファン出版で出された『飛浩隆作品集』全三巻に発表されたものの再録だ。作品執筆の楽屋裏も披露されているが、かなり客観的かつ怜悧に自作を分析しているのが凄い。書いた本人だからあたりまえと思うかもしれないが、そうではない。いったん読者へと投げだされた作品は、作者の思惑を越えて流通・需要される。そこまでを視野に含めて、飛さんはあらためて作品と向きあっているのだ。

 たとえば、「いとしのジェリイ」の解題では、「このころ松田聖子に凝っていて、アイドル歌謡の修辞を詩のように分節化してちりばめた作品をかけないかと考え」と作品執筆の経緯を明かしたうえで、こう述べるのだ。

 本作にはまず(そういういきさつだったので)アイドル歌謡のセンチな甘さがある。それにノスタルジックな感傷がある。そしてSF読者(男女不問)の趣向に迎合した、女性的イメージへの気持ち悪いもたれかかりがある。そういうところで受けたのであろう。
 しかし今や、こういう無反省なもたれかかりは、理論的反発を食らうまでもなく、「変なの」と生理的にリジェクトされて終わりだろう。

ここまで言うか、という感じだ。

 飛さんが女性的イメージといっているのは、作品の中核的アイデアであるジェリイが女性のようにふるまうからだ。ジェリイは、人工細胞による有機コンピュータであり、半流動体の「ゼラチン女中(メイド)」として主人公のぼくに仕えている。掃除はもとより、洗濯(脱いだ衣類はジェリイの体内で汚れをおとされて排出される)、会話の相手もしてくれる。そのうえ、ジェリイのなかに身体ごと浸かれば、細胞単位でリフレッシュしてくれる。その描写が独特だ。いわれてみればアイドル歌謡的な言葉もちりばめられているが、それが違和感なく地球生命史的なヴィジョンと接合している。センス・オブ・ワンダーの詩とでもいおうか、「これはたぶん、ミニマル・ビッグバンなのだ」のフレーズでとどめを刺される。

 物語は皮肉ななりゆきを迎えるが、結末でクラークとも小松左京ともちがった生命進化のヴィジョンが提示されていることに注目したい。大雑把な印象だが、ここで描かれた進化は、かつてのSFで主流だった上昇の感覚はない。生命と環境とがダイナミックに拮抗するイメージとでもいえばいいか。それは飛作品のみならず、たとえば上田早夕里《オーシャン・クロニクル》にも共通する、アップデートされた進化観である。

 そのほか小説作品では、異色の怪奇パロディ「異本:猿の手」、ケン・リュウを思わせる抒情性の「地球の裔」、記憶のはかなさを題材に認知科学的なアプローチをおこなう「夢見る檻」、星空の景観を額縁内に封じたギミックが印象的な「星窓」を収録。

 本書後半のノンフィクションも、なかなか読み応えがある。飛さんは「まえがき」で「私は、小説家が他人の創作物について書いた文章を読むのがとても好きである。(略)どんどん出版されればいいのにといつも思っている」と明言している。同感。とくに日本のSF作家は、そんじょそこらの評論家よりも、的確にその作品の魅力を見抜き、みずみずしい言葉で評する才のあるひとが多い(もちろん、飛さんはその筆頭である)。

 書評誌でも新聞でもいい。SF作家によるSF時評という企画をやればいいのに。

 あっ、そんなふうになったら、ぼくなど出る幕がなくなるか。

(牧眞司)

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