「組織に呑みこまれる怖さを書かずにはいられなかった」 “社畜”精神から生まれた新時代の仕事小説とは?

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「組織に呑みこまれる怖さを書かずにはいられなかった」 “社畜”精神から生まれた新時代の仕事小説とは?

ブラック企業や過労死の問題が明るみになり、「働き方」の見直しが叫ばれるようになり、社会全体で「働き方改革」が進んでいるようにも見える。しかし、今までの慣習を急に変えることは出来ない。とにかく残業をして仕事に没頭する人もいる。

『わたし、定時で帰ります。』(朱野帰子著、新潮社刊)はウェブ制作会社を舞台に、リーダーが勝手に進めてしまった無謀なプロジェクトが物語の中心となりつつ、どのように仕事と向き合うかという個々人の苦悩にスポットライトが当てられた新時代の仕事小説だ。

これまでの仕事小説は、一つの大きなプロジェクトを苦難を超えて成し遂げ、大団円を迎えるという筋書きが「王道」と言えるものだったが、この作品は、より個人の働き方にフォーカスして描かれている。

今回は作者の朱野帰子さんにお話をうかがい、小説に込めた想いについて聞いた。前編は物語の成り立ち、ストーリーのモチーフになった出来事についてである。

(聞き手・文/金井元貴、写真:山田洋介)

■職場の困った人は「全員自分の中の要素から作った」

――まず、本作を執筆したきっかけからお聞かせください。

朱野:最初、『yomyom』という新潮社さんから出ている電子雑誌の担当編集さんから執筆の依頼をいただいたときに、「会社にいる困った人をテーマに(小説を)書いてみませんか?」と提案を受けたんですね。

その話を膨らませていくうちに、「会社ってスーパーマンがいて、その人がなんとかしていくよりも、不完全な人たちがチームでなんとか壁を乗り越えていくところがあるよね」という話になりまして。

さらに、あれこれ話をしている中で、担当編集さんが「上の世代の仕事の仕方に納得できない」と。

――どのようなことに納得できないと言ったのですか?

朱野:例えば重要度の低い仕事も命がけでやるとか、健康的に危ない橋を渡るとか。彼女は世代的にゆとり世代なのですが、おそらくそういう上の世代の働き方に巻き込まれていたのだと思います。

一方で、私は1979年生まれの就職氷河期世代なので、仕事に対するマインドや働き方は彼女よりも上の世代と近いところがあって、いわゆる「社畜」側の人間なんです。なので、はじめは就職氷河期世代の人間を主人公にしようと思っていたのですが、話自体が暗くなってしまいそうだと思い、氷河期世代の一つ下にあたる「プレッシャー世代」の生まれにして、絶対に定時で帰って残業はしないという主人公したんです。

――あえて真逆のタイプを主人公にした、と。その主人公の結衣は32歳でウェブ制作会社に勤めています。執筆にあたって取材はされたんですか?

朱野:ウェブ業界の会社に勤めている知り合いに、1話ごとに1時間くらい相談しましたが、取材というほど掘り下げて話すものではなかったですね。こういう状況だとどういう仕事が出てくるの? とか、コスト感覚とか、そのくらいです。

どんな会社にいても共感できる話にしようと思っていたし、業界モノとして読まれるのは避けたかったので、そうならないように意識しました。私自身、9年間会社員をしていた経験があるので、その部分も下敷きにしています。書くのは楽しかったですね。

――第1話で騒動を起こす三谷佳菜子は、「絶対に残業しない」というポリシーを持つ結衣とは正反対で、「死んでも出社する」というタイプですね。

朱野:困った人ですよね(笑)。この物語に出てくる「困った人」は、基本的に自分をモデルにしています。

第1話は、結衣とは真逆のタイプである三谷が体調を崩しながらも「皆勤賞」にこだわるという話ですが、私も高校時代に皆勤賞を狙っていて、自転車で登校中に事故のようなものに遭遇してしまい、怪我をしながら学校に行こうとしたことがあります。

今思うと、なぜそこまで皆勤賞にこだわっていたのかは分からないですが、真面目さが暴走していたところがあったんですよね。

――結衣の「絶対に定時帰り!」というのも含めて、融通が効かないポリシーを持っている人って組織の中にいますよね。

朱野:そうですね。

――そのポリシーがぶつかりあっているのがまさに第1話ですが、現実だとチームがめちゃくちゃになってしまうのでは…と思います。

朱野:ただ、チームの中には多様な価値観があるほうが良いと思うんです。結衣と三谷は両極端だけど、そういう自分と対岸にいるような人が同じチームにいることがどこか心の救いになったりするじゃないですか。

■「インパール作戦」を下敷きに物語を考える

――そういう意味では、組織をまとめるリーダーの存在が大事になりますが、「福永」という結衣たちの上司はとにかく無茶なプロジェクトを振ってくる相当なクセ者です。

朱野:いわゆる「ブラック上司」ですね。第2話以降はウェブサイト構築のプロジェクトを物語の中心に据えていますが、これは「インパール作戦」という第二次世界大戦の軍事作戦を下敷きにしています。

――「インパール作戦」は日本陸軍史上最大の敗北を喫した作戦ですよね。「無謀なプロジェクト」といえばこの作戦を思い出す人も多いはずです。

朱野:はい。この物語でも、結衣がこの「インパール作戦」を知って、自分たちの無謀なプロジェクトと重ねたりしています。

私が「インパール作戦」を知ったのは、NHKのドキュメンタリー番組がきっかけだったのですが、軍隊の話とはとても思えなかったんですよ。「あ、これ、会社でもある」って。そこで、牟田口廉也という、作戦を率いた司令官のエピソードを参考にして、福永という人物を描いています。

――あまり詳しくはお聞きしないようにしますが、この物語の終わり方っていわゆる「大団円」ではないですよね。

朱野:そうですね。会社員時代、マーケティングの仕事をする中で、「成功体験から学ぶことは何もない」ということを教えてもらったんですよ。野村克也さんじゃないですけど、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」だと思います。

この物語もフィクションではありますが、その考えに準えています。ビジネス書的な要素を織り交ぜたいと思っていたので、主人公が「インパール作戦」という過去の失敗事例に学びながら、目の前のビジネスを進めていくという作りにしました。

――朱野さんはビジネス書を読まれるのですか?

朱野:最近は読んでいませんが、会社員時代は読んでいました。『日経ビジネス』の「敗軍の将、兵を語る」は好きでしたし、逆に経営者が書いた成功譚も読みましたね。他にテレビ番組だと「SWITCHインタビュー 達人達」の星野リゾート代表の星野佳路さんのお話は大好きです。スタジオ・ジブリの後継者問題を追ったドキュメンタリーも見ます。

そういう影響もあって、「成功譚よりも、失敗したケースから学ぶことのほうが大きい」ということをマーケティングプランナー時代に覚えていたんです。だから、基本的にこの物語の中で主人公たちは大きな成功をおさめてないんですよ。最後も成功ではないし。

――なるほど。確かに派手な失敗はしていないですが、成功とは言い切れない。

朱野:そうです。そもそも結衣たちが受け持つことになったプロジェクト自体に無理があったわけですからね。

――途中で、あんなに頑なに定時退社を守っていた結衣が揺れ始めますよね。そこは大きな転換点だと思いました。

朱野:結衣がだんだんと自分を誤魔化し始めますよね。『男はつらいよ』の寅さんだったり、『おじゃる丸』のおじゃる丸だったり、絶対に自分を崩さない主人公もいますけど、私自身、組織に呑みこまれてしまう怖さを知っていたので、そこは書かずにはいられないところでした。

――組織に呑みこまれてしまう怖さですか。

朱野:私が見た「インパール作戦」のドキュメンタリー番組って、実は25年前に放送されたものの再放送で、当時のアナウンサーが「組織というものを今一度考える必要がある」と語っていたんです。

つまり、「インパール作戦」が突きつけた課題を、日本の組織はずっとクリアできなかった。今もそうですし、これからも組織の課題として常に私たちの頭を悩ませて行くことなのかなと思いますね。

――物語の中に「制度によって人は変わらない」という言葉が出てきますが、まさにそうですね。

朱野:そうなんですよ。以前、人事部同士の対談記事を読んだときに「自分たちは頑張って残業を減らそうとしているけれど、従業員が帰らないんだ」と言っていたんですね。それってすごく面白いなと思ってしまって。

「働き方改革」って言いますけど、なぜ働き方を改善するかというと、より良いビジネスをするためですよね。どうすれば社員が短時間で大きなパフォーマンスを出せるようにするかは、経営層が考えなくてはいけない。でも、今って「働き方」が個人の生き方に結び付いていて、個人が考えて「早く帰る」という話になってしまっていると思います。

でも、それだと何も変わらなくて、個々人が背負ってきた人生や、持っているポリシーがただぶつかり合うだけで、収集つかなくなっていくのは当然です。

(後編に続く)

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