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震災から7年間、今も海で妻を探す…作家・重松清が見た被災地の今

震災から7年間、今も海で妻を探す…作家・重松清が見た被災地の今
J-WAVEがいま注目するさまざまなトピックをお届けする日曜夜の番組『J-WAVE SELECTION』。毎月第3日曜は、東日本大震災の被災地を訪れ、復興の現状をお伝えする『Hitachi Systems HEART TO HEART』をお届けしています。

4月からは、作家の重松 清が新ナビゲーターに。4月15日(日)のオンエアでは、ゲストにスポーツライターの生島 淳さんをお迎えし、「今、あの人に伝えたいこと、見せたい未来」について一緒に考えました。

■3.11の2時46分には「少しでいいから思い出して」

生島さんは宮城県気仙沼市出身。震災で、姉とその夫である義兄を亡くしました。その体験をもとに、2011年に著書『気仙沼に消えた姉を追って』を出版しています。

重松はこの本について、2011年のまだ傷が生々しい時期に書かれていることから、ノンフィクションとしての冷静な目線と、当事者である感情の揺れが印象的だったと述べました。

重松:今年の3月11日、生島さんはどこでどんなふうに?
生島:7年が経ち、「どういうふうに自分の子どもたちに伝えるか」が、最近は大切だと思っていまして。朝、娘がバイトに行く前に、「今日は姉の命日。こうやって出かけられるのはありがたいことだから、2時46分にはそれを考えてほしい」と。息子には、陸上の練習に行く前に「走れることを喜んでほしい」と伝えて送り出しました。僕は新幹線で停電にあってしまって、静岡駅で2時間足どめされた、という1日でした。
重松:新幹線に乗っていたのは、取材かなにかで?
生島:僕、京都中華部っていうのをやってまして、3.11だからこそ、あえて献杯をしませんかと仲間が言ってくれていたんですよ。僕にとって3.11は、あまり控えすぎず、日常の生活を送れることをありがたく思いたい日ですね。

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■7年間、海に潜って妻を探し続ける

重松は2018年の3月11日に宮城県南三陸町、女川町、石巻市に向かい、生島さんと同じように震災で大切な人を亡くされた方々に「みなさんが大切な人とどう向き合って7年間を過ごしてきたのか」について取材しました。

重松が取材した一人、女川町のバスの運転手、高松康雄さんは妻が津波に巻き込まれて、現在も行方不明の状態です。高松さんは「絶対に妻をうちに連れて帰りたいんだ」との思いで、石巻市出身でボランティアとして遺体捜索などをしていたダイバーに弟子入りをし、潜水士の資格を取りました。いまも定期的に海に潜り、妻を探しています。

高松:見つけてやりたいって思いは変わりませんけども、実際に潜ってみると「やっぱり難しいな」っていうのもありますけどね。でも、やっぱり諦めずに続けていかないと、見つかるものも見つからないだろうって思って地道に続けていこうとは思っています。いつまで、っていう期限はないですね。見つかるまでか、自分の体が動かなくなるまでか。ただ、妻だけじゃなくてね、まだ女川町で250名以上の方々が行方不明なんですよ。そういった人たちの遺留品とか、もちろんご遺骨があればいちばんいいんですけども、そういう人たちの分も探してやりたいなということで思ってるんです。女川はけっこう復興が進んでいるということなので、だんだん変わってきているってことは伝えたいですが、その反面、海の中はまだまだ瓦礫がそのまま手つかずに残っていたりするので、もう少し町だけじゃなくて海の中にも、みなさん目を向けてくれたらと思っています。

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高松さんを取材した重松は、女川町は復興が進んでいるという印象があるが、「町だけでは見えないもの、まだ人の心も含めて、止まってしまっているものもたくさんあるんじゃないか」と感じたといいます。

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