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Critical Thinking『シェイプ•オブ•ウォーター』にみる『野生の哲学』 

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まさに混乱を期す世界情勢のなか、様々な価値観の転換点は近年の新作映画にも顕著に見て取れる。クリエイター側のみでなく、観衆である我々ももはや”従来の映画的観点”だけでは作品の本質を捉える事は不可能になってきている、と言っていいほどまでに全ての基軸がまるっとアップデートされ続けている。そんな中、特に注目を集めた本年度のアカデミー賞にて見事作品賞に輝いたのは、『シェイプ•オブ•ウォーター』だった。そもそもホラー作品でオスカーに輝いたのは90回を数えるアカデミー賞のなかでも『羊達の沈黙』ただ一つであり、SF映画に至ってはあの金字塔『2001年宇宙の旅』でさえも受賞は逃している。それゆえに今回”怪人”であるアマゾンから来た半魚人と女性のラブストーリーが作品賞を含む4部門を獲得したと言う事実そのものが異例な事態であり、新しい映画界の潮流を感じさせる良い例であった。
ただし本作は単にそれだけに留まらず、非常に多層的で一つ一つの要素を語らっていきたくなるような作品だ。そして、哲学的なアプローチを持って美しいラブストーリーへと見事に昇華させた点においてもこの時代において非常に重要な一石を投じている。
1960年代フランスの”構造主義の祖”と呼ばれるレヴィ=ストロースによって書かれた『野生の思考』という哲学書は、当時西洋文化的志向であった社会に大きな影響を与えた。
今回は、彼の約60年も前に説かれた主張が本作の『シェイプ•オブ•ウォーター』、ひいては多様化が極まるこの時代にも通じている点があるということを紹介したい。

そもそも、『野生の哲学』を書いたレヴィ=ストロースという人は哲学者ではなく南アメリカの先住民文化の民族学者であった。彼はアマゾン川流域に暮らすナンビクワラ族のもとへ行って自身もそこで生活をしながら民俗研究をしていた。そして彼らと交流し文化的背景や生活習俗、言語体系を研究するうち「人間の無意識の構造こそ人類にとって普遍的なものである」また「事実を多く集め、客観的なデータを分析することが理解へ繋ぐ」といった”構造主義”と呼ばれる考えの基盤を作った。ナンビクワラ族を愛する彼にとってのこの書は、当時の西欧至上主義社会において「野蛮だ」とする未開の地に暮らす民族の文化をはなから差別し見下す風潮を鋭く批判するものだったのだ。
『シェイプ•オブ•ウォーター』のギレルモ•デルトロ監督は子供の頃『大アマゾンの半魚人(Creature From The Black Lagoon)』というSFホラー映画を見て衝撃を受けたと言う。アメリカの探検隊に発見された”恐怖の”半魚人がそのうちの女性科学者に恋をし探検隊が撃退する、といったモンスター映画であるが、デルトロ監督は「なぜただ半魚人というだけで恐怖の対象として描かれるんだろう?」と疑問に思い、こんなのはおかしいと考え半魚人と女性科学者の恋が成就するストーリーを書いたのが『シェイプ•オブ•ウォーター』へと繋がっていった。

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レヴィ=ストロースが主張する中で二点、『シェイプ•オブ•ウォーター』とダイレクトにリンクする箇所がある。
ひとつは、「人間は生まれた時から人間であるのではなく、ある社会的規範を受け入れる事で人間になる」という点。
『シェイプ•オブ•ウォーター』の主人公イライザが働く研究施設を取り仕切る軍人ストリックランドは、研究対象物の半魚人を”異形のもの”、”自分より劣ったもの”、”弱者”としていためつける。しかし、映画がすすむにつれ人間たちと心通わせていく半魚人の表情はみるみると人間らしく親しみが見てとれていくようになり、反して本来人間であるストリックランドは孤独をきわめて言動も顔つきもモンスターさながらの姿に見えていく。これは、生まれついたそのものの見た目すらも、受け入れるものや周りの環境が変容させていくということを非常に即物的な映画らしいアプローチでもって見ることのできた点であった。

もうひとつは、「ブリコラージュ(日曜大工)」という言葉である。これは、本来「寄せ集めてひとつのものを作る」という意義の言葉だが、レヴィ=ストロースは世界各地に見る、布や木片の余り物を使ってそのものの本来の用途とは違う新たな目的のための道具を作る文化から着想を得て、「ブリコラージュ」としてそれが普遍的な知のあり方だとした。これは道具だけではなく、神話や伝承も様々な人々の話の寄せ集めによって完成されたものとした。これは、感性と理性を切り離さず、様々な目的に合わせてここにあるものでなにかを作るといった姿勢であり彼はこのブリコラージュの重要性を説いた。
『シェイプ•オブ•ウォーター』では、実験体として追われる半魚人を逃がすという同じ目的のもとにイライザをはじめ登場人物たちが奔走する。しかし、目的は一緒であってもなぜ彼らがそうするかといった動機は一人一人バラバラに異なっている。言ってみれば「ブリコラージュな意思のもとにあるチームプレイ」がそこにあるのである。
作中、イライザが走る車窓についた雨粒を見つめるシーン。様々な形をしてそれぞれの動きをとっていた雨粒が、一つになっていく光景はまさに彼らのチームプレイであり「ブリコラージュ」が織りなす美しさであった。

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