小橋賢児、ドン底から逆転!「ULTRA JAPAN」の立役者となった経緯とは

access_time create folderエンタメ

小橋賢児、ドン底から逆転!「ULTRA JAPAN」の立役者となった経緯とは
J-WAVEで放送中の番組「INNOVATION WORLD」(ナビゲーター:川田十夢)。3 月9日(金)のオンエアでは、「ULTRA JAPAN」をはじめ、数々のイベントを手がけるイベントプロデューサー・小橋賢児さんをゲストにお迎えし、「ULTRA JAPAN」のクリエイティブ・ディレクターをすることになった経緯を伺いました。

小橋さんは、もともと子役として俳優活動をおこなっていましたが、なぜイベントプロデューサーをすることになったのでしょうか。

小橋:たぶん、本当に自分がやりたいことだったり、心から動いて選択したものだったら、それは“本当の成功”として、心も喜んでると思うんですけど。自分の心に嘘をつきながら、要は現状を維持するためだったり、仕事のために自分を誤魔化すのは、けっこう辛いことで。だから、当時テレビに出てみんなから「すごいね」って言われても、「本当の僕じゃないのになんですごいの」って。僕はわからなかったんです。

その後、26歳のときに「最低限の英語くらいは話せないと」と思い、渡米。当時、たまたま辿り着いたマイアミでは、世界最大級のダンスミュージックの祭典である「ULTRA MUSIC FESTIVAL」がおこなわれていました。小橋さんは、クラブなどに対して、あまりいい印象がなかったそうですが、「度肝を抜かれた」と言います。

小橋:青空の真下で、広場で最先端のテクノロジーを用いた巨大なスクリーンに、超イケてる音楽と、イケてるファッションの人たちが本当に気持ちよさそうに。しかも、そこには多国籍な人たちが一緒に、音楽という共通言語のもとに交じり合っていて。

世界中のイベントに刺激を受けて帰国したとき、小橋さんは「何でもできる気がした」と話します。しかしその後、失敗続きで周りから見放され、ドン底の状況に陥ってしまいます。それが30歳直前というタイミングだったため、小橋さんはある計画を立てます。

それは「30歳のバースデーを自分でオーガナイズ(企画)しよう」というもの。お金はなかったものの、思い切ってお台場のホテルにあるプールを貸し切り、友人たちの協力を得て、なんとかイベントを成功させます。これをきっかけに、イベントはどんどん拡大。企業からオファーが来るようになり、のちに「ULTRA JAPAN」のクリエイティブ・ディレクターをすることになり、今に至ります。

自身のバースデーパーティー計画が、大きなターニングポイントとなった小橋さんは、「人は3カ月で変われるって初めて知った!」と、力強いコメントを残しました。

【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。

【番組情報】
番組名:「INNOVATION WORLD」
放送日時:金曜22時−22時54分
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/innovationworld/

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 小橋賢児、ドン底から逆転!「ULTRA JAPAN」の立役者となった経緯とは
access_time create folderエンタメ
local_offer

J-WAVEニュース

J-WAVE 81.3FMでオンエアされた話題を、毎日ピックアップしてお届けしています。

ウェブサイト: https://news.j-wave.fm/news/

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。