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絆からキズニャへ。震災を振り返る−猫と暮らし、猫を創る。

私の作品の中で猫が6匹、輪になって踊っているモチーフがあります。
このモチーフは『KIZUNYA』(キズニャ)という名前が付いて、2011年に誕生しました。

↑KIZUNYAネックレス(2017制作)silver925、クリソプレーズ使用

2011年3月11日。私は知人と会うため都内の吉祥寺に出かけた際、震災に見舞われました。電車が止まり、自宅がある相模原に帰ることができずに知人と二人で右往左往…。なんとか三鷹に住んでいた伯母のところへ辿り着き、余震が続く中、不安な一夜を過ごしました。一方、自宅では夫が2匹の猫たちと停電で真っ暗の中、懐中電灯一つで身を寄せ合っていたそうです。

次の日、運転を再開した電車に乗ることができ、相模原の自宅へ戻りましたが、部屋と工房は写真のような有様。その後暫く計画停電が続き、制作をするどころではなくなってしまいました。当時、新宿で広告のアルバイトをしていたのですが、それも震災後にパッタリ仕事がなくなりました。

↑工房では棚にしまってあった道具が殆んど落ち、足の踏み場がない状態に

ニュースでは毎日被災地の悲惨な様子が写し出され、「自分は何もしなくていいのか」と、自問自答するようになりました。

そんな時、ニュースでペットたちのシェルターのことを知りました。被災地で飼い主と離れ、行き場を失ったペットたちの保護活動をしている個人や団体がいたのです。それを見て、いてもたってもいられず、たまたま近所にできたシェルターに、夫とペットフードを届けに行くことにしました。シェルターには次から次へと被災地から預かってきた犬猫が運びこまれ、側にはその日の早朝に息絶えた子が横たわっていました。まるで戦場のようで、とても手が足りない状況でした。

以来、毎週休みの度に夫婦でシェルターに出向き、最終的に80匹程の預かりネコのお世話をしました。

↑シェルターの猫たちの爪切りは慎重に。一見穏やかに見えても、スイッチが入ると攻撃されることもあるので革手袋をします

被災地から来る猫の多くは避妊去勢をしておらず、また外猫が多かったので、シェルターでは出産ラッシュでした。慣れないシェルターでの生活で体調崩す子や皮膚病の子、白血病やエイズキャリアの子など、いろいろな子がいたのでお世話も大変。保護して間もない子の爪を切ろうとして手を噛まれ、感染症を起こしてしまうアクシデントもありました。手当の甲斐なく虹の橋を渡った子も何匹もいました。

当時を思い出すと彼らの顔と「ごはん、ごはん」と呼ぶ声や、虹の橋に行ってしまった子たちへの自責の念が蘇って胸が詰まります。

1年半程シェルターに通ったころ、愛猫に介護が必要となりました。その後シェルターの猫たちは飼い主さんの元へ戻ったり、新しい里親さんのところへ譲渡されたりして、シェルターはそこでの役目を果たし、場所を移転していきました。ボランティアに通う中で、ペットに対する考え方に地域差があることや、悲惨な状況を目の当たりにしたことで、避妊去勢の必要性を強く感じるようになり、作品制作への思いも変わりました。

そして震災から1年後の2012年3月1日〜3月11日に、谷中のギャラリー猫町さんで個展『ki・zu・nya』を開催しました。


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