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闘うキム警部がかっこいい!『サイレント・スクリーム』

闘うキム警部がかっこいい!『サイレント・スクリーム』

 また一人、ヒロインを好きになってしまった。

 キム・ストーン警部、イギリスはウエスト・ミッドランズ警察の刑事である。アンジェラ・マーソンズのデビュー作『サイレント・スクリーム』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の主人公だ。カワサキ・ニンジャを乗り回し、趣味はクラシック・バイクをいじること。得意なのは事件捜査で、致命的に苦手なのは対人関係である。仕事の上だけではなく、私生活においてもその傾向は徹底している。彼女にも付き合っていた相手がいたが、しばらく前に別れた。理由はその男が「ある朝歯ブラシを持って帰らなかったから」。

—-キムは首を横に振りながら、思いだしていた。ピーターが仕事に出かけたあと、キムがバスルームに行くと、キムの歯ブラシの隣に厚かましく並べられたピーターの歯ブラシが眼についたのだった。犯罪現場を見ても、ここまで怖いと思ったことはなかった。
「歯ブラシを入れておくグラスさえ共有する気になれないなら、ほかのものはなおさら無理だって気がついたの」

 自身のパーソナル・スペースに他者が侵入することをキムは極度に嫌い、警戒する。読み進めていくとすぐに、そうした行動様式をとるようになった原因が彼女の子供時代にあることがわかる。『サイレント・スクリーム』は、事件捜査を通じてキムが自身の過去と対決する小説でもあるのだ。

 プロローグでは複数の人間が墓穴を掘っている場面が描かれる。石のように硬く凍りついた土を掘り返さなければならないほど、彼らは切羽詰まっているのだ。第一章では、その中の一人と思われる女性が恐怖に慄いている。それが自身にとっては最後の晩になることを彼女は察知しているのだ。やがて家に侵入する音が響き、招かれざる客が現れる。命乞いに耳を貸そうともせず、その人物は彼女を浴槽の中に沈め、溺死させる。この殺人事件を捜査するために、キム・ストーンが現場に現れるのである。

 殺害されたのはテレサ・ワイアット、私立校の長の地位にある女性だ。キムが自身のチームを率いて捜査に取り掛かると、意外な事実が判明する。被害者は、ある発掘調査の現場に強い関心を示していたのである。掘り返す予定だったのは古い児童養護施設が火災で焼け、その後はずっと放置されていた場所だった。奇妙なことに、申請を出した大学教授はしばらく前から失踪していた。調査を中止しなければ危害を加えるという脅迫状を受け取っていたのだ。事件を解く鍵は児童養護施設にあるとキムは考え、捜査の対象を絞っていく。その矢先に、第二の殺人が起きてしまった。

 主人公が調べなければならないことは二つある。一つは現在起きている殺人事件の謎であり、もう一つは十年前に児童養護施設で何が起きたかということである。ここまで書けば勘のいい読者は、だいたいの背景を察せられたことだろう。その施設では過去に、ある痛ましい事件が起きていた。その記憶を掘り返すのは、キムにとって自身の心の傷をえぐることにもつながる。彼女にも事件の関係者と同じような過去の体験があったからだ。キムは凄惨な運命と闘って勝ち抜いた、サバイバーなのである。

 本書では二つの悪が描かれる。一つは、弱者につけこみ、とことん利用し尽くそうとする人間性の否定の悪である。もう一つは、相手に責のないことをレッテル貼りし、人生をやり直す機会を奪うという差別思想だ。致命的に対人関係が苦手なキムは、こうした者たちに対して遠慮会釈のない怒りを燃やす。一切の忖度なく、悪を討ち滅ぼそうとするのだ。事件関係者の一人に、彼女はなぜか深い共感を覚える。なぜか。その人物も同じ、ファイターだからだ。悪に抗う勇気を持った人に対し、キムは尊崇の念を隠さない。その気持ちは読者にも伝わるはずである。彼女たちと共に闘いたいと感じる方は多いのではないか。

 凄惨な事件を描いた小説ではあるが、その惨さに負けずにぜひ目を通していただきたい。本書の物語運びは素晴らしく、一度読み始めたら途中では決して止められないほどの疾走感に満ちている。一つの理由は闘う主人公・キムが魅力に満ちているからだが、謎解き小説としても抜群におもしろいからでもある。過去の現在の二つの謎が徐々に解き明かされていく後半の展開には引き込まれるし、キムが真相を突き止めるあたりは呼吸すらもどかしいほどに集中して読まされてしまう。年季の入ったミステリー読みも絶対満足させる密度があると約束しておこう。

 ああ、それにしてもキムはかっこいい。捜査を妨害しようとするある人物に、彼女はこう言い放つのだ。

「なぜわたしにこの事件から手を引かせたいのですか? どんなに時間がかかろうと、わたしなら絶対に解決するだろうとよくわかっているのに?」

 傲慢といっていいほどの自信家ぶり。これこれ。これがキム・ストーンなのですよ。

(杉江松恋)

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